こちらの記事は、「【引き寄せ】が叶わず自分を責めている人へ」シリーズの【後編】です。
「引き寄せが上手く行かずに苦しいが、なんとか引き寄せを成功させたい人」には興味の無い内容かもしれません。
けれども、以下のような方に、ぜひ読んでいただけたらと思います。
- 引き寄せを信じて頑張ってきたが、現実が思い通りに変わらなくて苦しい。
- 引き寄せが上手く行かずに、自分を責めてしまう。
- 家族の不調や問題などを「自分のせいだ」と背負ってしまっている。
- 「今の現実はあなたが望んでいること」と言われて辛い。
- 「引き寄せの法則」に、モヤモヤや「なんかおかしくない?」を感じている。
- 自我(エゴ)の構造や仕組みについて知りたい。
【前編】では、「引き寄せ」や「現実は自分の反映」について、脳の仕組みや論理的な視点から検証してきました。

こちらの【後編】では、私たちがなぜ「すべて自分のせいだ」と責任を背負ってしまうのか、その心理的・精神的な構造、そして「魂の成長」「お役目」などの言葉について紐解いていきます。
さらに、この世界の「真実」と、「叶わない世界」を敵にしない生き方についても見ていきたいと思います。
💠そもそも「法則」とは何か?
「引き寄せの法則」は、本当に普遍的な「法則」と言えるのか?
💠それは引き寄せではなく「脳や身体の仕組み」です。
「引き寄せ」ではなく、RAS(脳のフィルター)やホメオスタシス(恒常性維持)といった「人間の仕組み」から説明できること。
💠「夢は絶対に叶う」という幻想
「願望(夢)は絶対に叶う」という言葉は、人に希望を与えてくれるけれど…
💠「生存者バイアス」について
「引き寄せ」が「絶対的な正しい法則」のように見える理由とは。
どこまで「責任」を背負うのか?
「引き寄せ」とか「すべてが自分の意識の反映」というのは、
一見、「自分が頑張れば願いが叶う」「思い通りの現実になる」という希望のようですが、
実は、ある意味「100%自己責任論」のように私は感じます。
「すべてが自分の意識の反映」を「法則」として信じることは、
文字通り、自分が体験する「すべての現実」の責任を負うことになります。
・事故
・病気
・災害
・他者の暴力
・社会構造
・差別
・貧困
・トラウマ的な養育環境
本当に「法則」であれば、これらも「あなたの内面が創った」ことになります。
これは、どこまでも責任を背負い込むことにはならないでしょうか?
この記事のテーマでもある「現実は自分の反映なのか?」をテーマに開催した公開ライブの参加者の方から、
「今まさに母親のケガについて、あなたが起こした出来事だと言われた」という、こんなご感想をいただきました。
内容の全てが、うんうんと大きく頷きたくなる内容でした!
そして、今またまさに、法則系の人に、私の認知症の母が、肋骨3本にヒビが入るケガをして介護が大変になったことについて、あなたが起こした出来事、と言われたところでした。
創造主で、あなたが全ての源です、とも言われました。(中略)
これまで散々そういう人に会ってきて、騙されたこともあるし、散々私が悪いと言われて悲しかったのに。
この記事の最後に、ご感想の全文と、ライブ動画のアーカイブのご案内があります。
「散々私が悪いと言われて悲しかったのに。」
このお言葉に、とても切ない気持ちになりました。
このご感想をくださった方のように、
「すべては自分の反映」という言葉は、「わたしが悪い」「すべて私の責任だ」という自責に繋がってしまう可能性があります。
自分の人生に主体性を持つことと、
世界のすべてを自分の責任にすることは、決して同じではありません。
親心や責任感に訴えるという構造。
前編からここまでを読んで、
「全部が自分の反映とは言えないかも」と感じる方も、
「そんなの当たり前のことだ」と思われる方もいらっしゃるかもしれません。
けれども。
もともと「すべてが自分の意識の反映」という話に懐疑的な人であっても、
「子どもの不登校」や「家族の病気」といった、自分にとって大切なもの、守りたいもののことになると、
「もしかしたら、自分の何かが原因なのではないか」
「私が変われば、この状況も変わるのではないか」
そうやって心が揺らぐことがあります。
それは、大切であればこそ、当然のこと。
けれども、
不安や罪悪感を抱いているときに、「あなたの内面を変えれば現実が変わる」というメッセージは、
普通以上に強く響いてしまう可能性があります。
そうやって不安になったところに「解決策」を提示されたら、
すがりたくなってしまっても無理はありません。
こういう構造って、社会の中に少なからず存在しているのではないでしょうか。
大切であるからこその、恐れや不安。
私たちは、特に自分にとって大切な存在に対して、
大切だからこそ、失われたり損なわれたりする可能性に恐れや不安を抱きます。
自分という存在もまた、誰にとっても特別に重要なものです。
たとえどんなに自己否定が強かったとしても、私たちは生きものとして、本能的に自分を守ろうとします。
「あなたの現実は、あなたの思考や意識状態に依存する」ということは、
あなたや、あなたの大切な存在の現実は、
あなたの意識次第で「良く」もなるけれど、「悪く」もなるということを意味します。
これは、
「悪いことが起こらないように、常に自分の思考や意識を管理し続けなければならない」
という緊張を抱え続けることにもなります。
「お役目」「魂の成長」について。
事故や災害、トラウマ的な養育環境などの理不尽な辛い出来事については、
スピリチュアルでは、よく、
「あなたのお役目です」
「魂の成長のために、実は自分で選んだことです」
そんな風に言われたりしますよね。
辛い体験の当事者であるご本人が「魂の成長」「お役目」だと思うことについて、異を唱えたいわけではありません。
そう思うことで少しでも心が救われたり、前を向く力になるのであれば、
それは、その人にとっての真実なのだと思います。
私は、「魂の成長」「お役目」という捉え方そのものを否定したいわけでもありません。
人間には「意識の層」のようなものがあることは確かで(私もそれを体験したことがあります)、
日常的な自我の意識とは別の、深い(あるいは高い)領域から見れば、
「お役目」や「魂の成長」としての側面はあるのかもしれないと思います。
けれども。
これは私の体験ですが、
本当に苦しかった時に「魂の成長のために…」と言われて、「ふざけるな!」と思ったことがありました。
魂の成長なんて、そんなもの要らない。
こんな現実なんて体験したくなかった。
そう思いました。
ほとんどの場合、「魂の成長」「お役目」と言う人に悪意は無いと思います。
辛い状況にある人に、せめてもの慰めや励ましとして言っているのだということも分かります。
けれども、本人が悲しみや怒りのただ中にいて、とても「お役目」「魂の成長」とは思えない時に、
第三者が先回りしてそれを言うことは、
起きてしまった辛い出来事に対して、
他者が、「起きて良かったことだ」と意味づけることによって、
本人の気持ちを置き去りにしてしまうことになりかねないのではないでしょうか。
この「魂の成長」「お役目」というテーマに限らずですが、
他者が提示する意味づけによって、その人が新たな視点を得たり、気持ちが軽くなったりと、それが役に立つ場合がある一方で、
本人の気持ちや状況を無視した解釈の押し付けは、それが善意であっても、ときに人を傷つけてしまう可能性があるということ。
こんなことを言っている私も、つい良かれと思ってそういうことをしてしまう時があります。
だからこそ、この視点を忘れずにいたいと思います。
引き寄せよりも、自分の本当の願いと繋がること
ここまで読んでくださった方は(長文を読んでくださって本当にありがとうございます!)
恐らく、「この人は、引き寄せを否定したいんだな」と思われていることでしょう😅
けれども実は、私は、完全に引き寄せ的なことや奇跡を否定しているわけではありません。
私自身、奇跡としか思えない体験をしたこともあります。
そして、人の意図や意識の力というのはあるとも思っています。
人は、本当に叶えたいのなら、叶えようとする。
行動する。
努力する。
そういうものだと思います。
大谷翔平さんも、何の努力もなく今の彼になったわけではありませんよね。
野球が大好きで、子どもの頃から明確な目標や夢を持ち、当然ですが、それが叶うのを願うだけではなく、コツコツ努力を続けてきた。
叶えたい夢があるから、人並外れた努力を続けてこられているのだろうと思います。
つまり、「叶うことを願う」だけじゃなく、
自分がそこに向かおうとする、主体的な力です。
その人の願いが、その人の本質とも言えるものと繋がっていて、
そして、主体的にそこに向かおうとする時。
その意図や意識の力があたかも吸引力のようになって、思いがけない縁や機会が生まれ、まるで導かれるような出来事が起こる。
そうしたことはあると思うのです。
つまり、「引き寄せ」を起こそうと狙って、意識や波動を操作する方向の努力ではなく。
真摯に、自分が本当に願うことに向かって動いていく。
その中で、「結果として」引き寄せと呼びたくなるような現象が起こることはある。
そう思っています。
昔観た「プロジェクトX」には、そんな話がたくさんありました。
そして、その人が自分の本質的な願いに向かって行動しているとき、
叶うか叶わないかよりも、
そこに向かうプロセスの中にこそ、その人にとってのたくさんのギフトがあるのだと思うのです。
私の感覚では、それは「引き寄せ」というよりも、「流れに乗る」といった感じではありますが。
あなたが「引き寄せたい」と願うものは、
あなたの「本当の願い」でしょうか?
私たちが「欲しい」「叶えたい」と思うものは、実は、知らず知らずのうちに刷り込まれた、社会や家族の価値観から来るものであることも多い。
そしてそれは、その人の「本当の願い」ではなかったりする。
何かを引き寄せようと頑張るよりも、
自分の本当の願いを知ろうとすること、それと繋がることの方が本質的なのではないかと、私は思っています。
私たちが現実をコントロールしたくなる理由とは。
では、ここからは、
そもそも、なぜ私たちは「現実を思い通りにしたい」と願う…
つまり、現実をコントロールしたいと思うのか。
それを見ていきましょう。
人間にとって、「何が起こるかわからない」という状態は不安です。
自我(エゴ)の根底には、無力感が存在しています。
予想ができないこと。
自分のコントロールが及ばないこと。
それは、生存の脅威に繋がるものです。
だからこそ、「すべてが自分の意識の反映」というのは、
たとえそれによって過大な責任を背負うことになったとしても、
「自分には何もできない」という状態よりも、
「自分が頑張れば変えられるかもしれない」という意味で、希望になりえるのです。
「公正世界仮説」について。
心理学には、「公正世界仮説(Just-world hypothesis)」という概念があります。
これは、「世界は基本的に公平であるはずだ」という認知のバイアス(思い込み)です。
分かりやすく言うと、
「良い行いには良い結果が、悪い行いには悪い結果が返ってくるはずだ」という無意識の前提のこと。
人は、
- 理由のない不幸
- 避けられない理不尽
- コントロール不能な出来事
これらに直面することに、耐えがたい不安や恐怖を感じます。
そうすると、心はこう言い始めます。
「それが起こったのには、何か理由があるはずだ」
「自分が正しければ、悪いことは起こらないはずだ」
「世界は公平で理解可能なものであり、理不尽なことは起こるはずがない」
このように、「世界は基本的に公平であるはずだ」「自分は悪いことはしていないのだから、悪いことは起こらない」という、無意識の根深い思い込みを前提に、
意味づけをして納得しようとしたり、「自分は大丈夫だ」と思うことで、自分を守ろうとします。
これは、無意識に働いている防衛戦略であり、決して悪いことではありません。
けれども、
「世界は基本的に公平であるはずだ」
「自分は大丈夫だ」
という前提は、残念ながら「真実」ではありません。
この世界の真実とは…
では、「真実」とは何でしょうか。
あなたの人生は、あなたを幸せにするためにあるのではない。
これは、エックハルト・トールという、世界的に有名な非二元のティーチャーの言葉です。
この言葉はもう本当に、身も蓋も無いですよね😂
私は初めてこの言葉を聞いた時、「えっ、そうだったの?」とびっくりしました。
その時、無意識のうちに「私の人生は幸せであるべきだ」と思っていたことに気づきました。
だからこそ「こんなに苦しいのはおかしい!」と、世界に対して怒りにも似た思いを持っていたことにも。
もちろん、この言葉は、
「あなたが決して幸せになれない」とか、そういう意味ではありません。
「非二元(悟り)」で言われる「真実」とは、
「”私”という個人としての自己は幻想であり、実体としての行為者はいない」ということです。
もし”私”という個人が存在しないのだとすれば、
現実を「私の意識が作り出している」と言うこともできなくなります。
そうではなく、
「起こることが起こる」
それが、この世界のあり方だということです。
どれだけ熟考しても。
どれだけ危険を避けようとしても。
どれだけ努力して自分に関わることをコントロールしても。
起きるときには、起こることが起こる。
苦しいことも、
理不尽なことも、
そして嬉しいことも、幸せなことも。
どんなことでも起こり得るのが、
この世界であり、すべての人の人生です。
「叶わない世界」を敵にしない生き方。
私たちにとって、「起こることが起こる」というのは、不安で怖いことです。
私はヘタレなので、本当に怖い😂
でも、「何が起きるか分からない世界の中でも、大丈夫でいられる自分」を育てていくことはできます。
現実や世界を思い通りにコントロールすることは難しい。
けれども、「大丈夫な自分」を育てていくことはできるのです。
これは決して、「何が起きても、平然として動じない自分」ではありません。
人間である以上、それは不可能なことです。
苦しみも、不安も、悲しみも、
当然、感じるべき感情であり、人生の大切な一部です。
それらを無くすことではなくて。
辛いことが起これば、
取り乱すかもしれない。
苦しむかもしれない。
でも、「それでも大丈夫」と感じられる自分を育んでいくということ。
私がセッションでサポートしているのは、まさにこのことです。
世界が、安心できる場所になっていく。
人生をコントロールしようとすると、
世界は「思い通りにならない敵」になる。
でも、「何が起きても、それでも大丈夫な自分」を育てていくと、
世界は敵ではなく、安心できる場所になっていく。
そう思っています。
”「それでも大丈夫」と感じられる自分を育んでいく” とは、どういうことなのか。
私はそれを、自分の内側の「Home…戻る場所」と呼んでいます。
不安にかられても、苦しみに飲み込まれても、
自分の内側に、「あたたかな、戻る場所がある」という感覚。
それは、人生における「土台」となりえます。
頭で「大丈夫」と言い聞かせるのではなく、
「本当の安心」を、自分の内側に培っていけるということ。
以下の記事で、私自身の体験も含めて書いています。

おわりに:この記事を読み終えたあなたへ
ここまで、「引き寄せの法則」という言葉に疲れ、現実が思い通りにならない理由を探してきた方に向けて、その構造を紐解いてきました。
「現実はすべて自分の意識の反映である」という考え方は、時に「すべてが自己責任である」という罠になり、私たちを深く傷つけます。
もしあなたが、「自分が悪いから現実が変わらないのだ」と自責の念に駆られているのなら、
一度、少し立ち止まって考えてみる。
この記事が、もしもその小さなきっかけになれば嬉しいです。
「現実は、必ずしも私たちの期待どおりになるわけではない」という真実を知ることは、少し怖いことかもしれません。
けれどもそれは、不確かな世界を必死にコントロールしようとするのではなく、
自分の内側に「本当の安心」を育み始めるための、大切な一歩になると思っています。
アーカイブ動画のご案内
今回の記事のテーマでもある「現実は自分の反映なのか?」をテーマに開催した公開ライブのアーカイブ動画を販売しています。
ライブでは、こんな内容をお話しました。
- 現実は自分の意識の反映と言うけれど…本当に出来事の「全部が」自分の意識の反映か?
- なぜ人は「自分が作っている」に惹かれるのか|心の仕組みから紐解く。
- 自分がバカにしているから人にバカにされる?「現実は自分の反映」と混同されやすい「投影」について
クローズドな場だからこその「本音」や、こちらのブログでは書ききれなかったことについても語っています。
約1時間の動画です。
このテーマについて動画も観てみたいと思われる方は、ぜひご覧ください。
⚪️公開ライブのご感想⚪️
内容の全てが、うんうんと大きく頷きたくなる内容でした!
そして、今またまさに、法則系の人に、私の認知症の母が、肋骨3本にヒビが入るケガをして介護が大変になったことについて、あなたが起こした出来事、と言われたところでした。
創造主で、あなたが全ての源です、とも言われました。
ネガティブナルシズムで、発達性トラウマの私は、全部自分が悪い、と思って生きてきたので(最近変わってきましたが)、人様の言うことの方が正しいと思いがちなので、その人のいうことも、そうなのかな、それを信じなくちゃいけないかなと思っていました。
これまで散々そういう人に会ってきて、騙されたこともあるし、散々私が悪いと言われて悲しかったのに。
それに対して、お二人のお話は、目を覚まさせてくれました。
目に見えない世界、スピリチュアルにも興味があったこともあって、そちらに寄りすぎた人の言うことを信じやすかったこともあったと思いますが、改めて自分の感じた違和感や感覚、直感、考えを大切にしようと思わせて頂くことが出来ました。
参加させて頂けて、本当に良かったです。ありがとうございました!
全て興味深いお話しでしたが、特になおこさんが色紙で私達の認識を説明して下さったのが(※注:「投影」についての説明)分かりやすかったです。
私なんか、もはや万華鏡に色取り取りの認識の癖を持っているのではと思いました。
ちえさんなおこさんが、分かりやすく、リラックスした雰囲気で大切な事をお話しして下さったので、初参加でしたがとても居心地良く参加出来ました。ありがとうございました。
【料金】1,500円
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