「トラウマは見なくていい」について思うこと。
今日は、これまで常々思っていたことを書いてみようと思います。
「悟り」「目覚め」やスピリチュアルな発信をしている方に多いのですが、
トラウマは見なくていい。
トラウマを見る必要は無い。
こうした発言をされている方が、それなりにいらっしゃるように思います。
確かにそれも一理あります。
決して間違いだと言いたいわけではありません。
けれども、そうした発言をされる方は、
トラウマの背景には、身体的・生理学的な問題(不調性)がある。
ということを果たしてどれだけ理解されているのかな?と疑問に思う時があるのです。
「トラウマ」は身体的・生理学的なサバイバル反応。
トラウマは、心や意識の領域の話でもありますが、
その根本は、身体的・生理学的なサバイバル反応です。
危機的状況に対して、身体がサバイバルのために大きなエネルギーを動員したものの、
その状態から戻れずに莫大なエネルギーが行き場を失って、冷凍保存のように身体に閉じ込められ、
脳や自律神経、ホルモン分泌などの生理学的な領域でサバイバル反応が残ってしまい、調整不全などが起こり負荷がかかり続けている状態。
それがトラウマ状態です。
「トラウマは見なくていい」という言葉の意味するところは、恐らく、
- 既に終わった過去のことに意識を向け続ける必要は無い。
- 分離した「個の自分(自我)」というものは、本来は存在しないのだから、その苦しみを認めて癒そうとするのは、自分(自我)の強化に繋がる。
といったあたりではないかと推測します。
確かにそれは正しい。
「正しすぎます」と言いたくなるくらい正しいです😂
というか、これは根本的な苦しみから抜け出して行くために必要なアプローチであり教えだと思います。
それに異論はありません。
(私もセッションでこのアプローチを取ることもあります。)
けれども。
発達性トラウマ・愛着障害(愛着性トラウマ)・大きなショックトラウマなど、
深刻なトラウマ状態を抱えている人にとっては、こういった教えは更なる苦しみ・・・自責や無力感に繋がってしまう可能性があると思うのです。
そして。
もし、あなたの目的や希望が、
ほんとうは「悟り」や「目覚め」よりも、
「楽になること」「ナチュラルな本来の自分で活き活きと生きること」であれば。
もしかしたら、あなたに適しているのは別のアプローチかもしれません^^
ちなみに、私がクライアントさんに良くお伝えするのが、
「悟り」や「目覚め」と「癒し」は、”混ぜるなキケン!”
という話です。
両者には共通する部分もありますが、
本質的にはまったく違う話ですし、相反するようなこともあります。
癒しの結果として「悟り」や「目覚め」があるわけでもありません。
両者をミックスして考えて混乱されている方にもたくさん出会って来ました。
私のおススメは、ミックスして考えないこと、です^^
余談ですが。
目的や希望が「悟り」や「目覚め」だったとしても、
トラウマ状態が深刻で無い人の方が、それらのワークなどに取り組んだ時にスムーズだったりもします。
(トラウマを持たない人間はこの世界には存在しませんが。)
深刻なトラウマ状態を抱えている人の場合は、必ずしもではないですが、トラウマの癒しに取り組むことで実践しやすくなる場合もあると、自分の体験からそう考えています。
(現時点での見解ですが…。そして、そう考える根拠は神経系の活性です。)
「正しい教え」であるからこそ‥・
先のブログでご紹介したAさんは、私のセッションを受けてくださるまでに、様々なスピリチュアルの教えにも真摯に取り組んで来られた方でした。
けれども真摯に真剣に取り組まれた分、絶望も大きかった。
Aさんのお言葉を借りると、
どのような教えを聞いても腑に落ちない、芯を喰わないばかりで、泣きたかったです。
そのように感じる自分に怒りを覚え、心底がっかりし、絶望して投げ出していたところでした。
そしてこれは、かつての私のことでもあります。
当方を訪れてくださる方の中にも、このような方は沢山いらっしゃいます。
海外の有名なスピリチュアルティーチャーのセッションを受けて「トラウマは存在しない」と言われ、でもどうにも楽にならない自分を責めてしまい辛くて仕方が無い、という方もいらっしゃいました。
「正しい教え」である分、それを理解できない、実践できないという時に、
私たちは「自分が悪い」「自分がおかしい」と思ってしまいがちです。
それは辛いことですし、悲しいことです。
そこには、トラウマというものへの「正しい理解」が必要だと思うのです。
▼Aさんのメッセージの全文はこちらから
発達性トラウマや愛着障害(愛着性トラウマ)の人たちの苦しみの正体とは。
「トラウマは見なくていい」という言葉の背景には、
「トラウマは心理的な問題(思考や感情のパターンなども含む)である」という認識があるかもしれません。
日本ではトラウマというと、「心の問題」と捉える見方が未だに主流です。
もちろん心理的な問題でもあるのですが、
それ以上に…というか、
その根底には、自律神経の調整不全など、身体的・生理学的な問題が存在するのです。
特に発達性トラウマや愛着障害(愛着性トラウマ)など、
人生の非常に早期…脳や神経系が著しく発達する時期のトラウマ体験は、
まさに脳や神経系の状態や発達に甚大な影響を及ぼします。
これこそが、発達性トラウマや愛着障害(愛着性トラウマ)の人たちの苦しみ、困難、生きづらさの正体です。
こうした状態からの回復には、心の状態だけでなく、身体…つまり神経的、生理学的な状態へのアプローチが重要になります。
つまり心理的な面からだけのアプローチや思考・認知的なアプローチ、また意識の持ち方といった話では、不十分な場合が多くある、ということです。
いわゆる「気の持ちよう」といったことだけでは、こうした神経的・生理学的な状態は変わらないからです。
トラウマの癒しは、サバイバル反応の完了。
トラウマ反応は身体的な反応ですから、
トラウマ反応の渦の中に居る時は、
全身が、「今まさに目の前に危機が存在している」という状態になってしまっています。
何らかのトリガーによってトラウマ反応が起きた時(もしくはトラウマ反応が常態化している時)、
その強烈な身体的な反応・体感に、私たちの意識は容易に「持って行かれて」しまいます。
身体で感じること・体感こそが、
私たちにとって「いま現在リアルに起きていること」と感じられるからです。
ですから、いくら意識的に「今は危機的なことは何も起きていない」という事実に目を向けようとしても、
身体は「危機だ!」と叫んでサバイバルの状態になってしまっており、恐怖や圧倒などの強烈な感覚を感じるわけですから、
「今ここ」に根差すことは非常に難しくなります。
このように、トラウマ状態とは「身体的・生理学的なサバイバル反応」ですから、
トラウマの癒しにおいても、心や意識、認知レベルのアプローチでは不十分な場合が多くある、ということなのです。
トラウマの癒しは、身体的・生理学的なサバイバル状態を完了させてあげることも必要になります。
つまり多くの場合、身体や生理的な状態が変わらなければ、トラウマの癒しには繋がらないと言えます。
これは私の勝手な憶測ですが、いわゆる「スピリチュアルジプシー」状態の人の中には、
身体状態へのアプローチを含めた適切なトラウマ療法が必要な人が多くいらっしゃるのではないかと感じています。
そういう方には、ぜひ、
トラウマの背景には、身体的・生理学的な問題(不調性)がある。
ということを知っていただけたらと思うのです。
世の中には、癒しや目覚めのための様々なアプローチや教えがあります。
私は基本的に、どんな方法でも教えでも、それで楽になるなら・自分に役立っていると感じるなら何でもOK!と思っています😁
「身体的・生理学的なアプローチだけが正しい!」なんて言いたいわけでは無い。
大切なのは、その手法や教えが「正しいか、間違っているか」ではなく、
「今の自分に適しているか。必要か。」ということ。
癒しに取り組んでいるのに、余計に辛くなってしまう・・・
そんな時はどうか、「果たしてこれが、本当に自分の役に立っているのだろうか?」ということを、正直に観てみていただけたらと思います^^
トラウマ療法において、心の領域のことが不要というわけではありません。
心と身体、両方へのアプローチが必要であり有効です。
私が癒しに必要だと考える要素を以下の記事に書いています。
ぜひ読んでみてください^^