私がどんな風に「ネガティブ・ナルシズム」状態から楽になって行ったのか。

「ネガティブ・ナルシズム」(通称「ネガナル」)のシリーズです。

「ネガティブ・ナルシズム」シリーズは、こちらの記事からご覧ください

目次

ネガナルだった私が、どんな風に楽になって行ったのか。

さて。

ここまで、「ネガティブ・ナルシズム」(通称「ネガナル」)の状態と、そこから抜け出すための鍵についてお伝えしてきました。

今日のブログは、ネガナル状態だった私が、どんな風に楽になって行ったのか?という話です。
番外編のようなもの、と思ってくださいニコニコ

溝口あゆかさんの「インテグレイテッド心理学講座」に参加して、「ネガティブ・ナルシズム」という状態について知り、
そして「こころの仕組み」を学んだことで、

それまでずっと、「どうして私はこんなに苦しいんだろう」と、そう思い続けてきたことの「答え」を知ることができました。

それだけでも、かなり楽になりましたが、
その後、イギリスのHolistic Healing collegeのカウンセラー養成講座に参加して、「こころの仕組み」についての理解を深め、
日々「思考の観察」を実践して、「OADセッション」で自分を癒すこと、

それらに取り組む中で、少しずつ楽になって来ました。

「OADセッション」がどういう感じのものか、
また、それによって、どんな風に私が楽になって行ったのか。

Holistic Healing college カウンセラー養成講座のディプロマ(資格)取得の時に、私が書いた、いくつかのレポートのうちのひとつをご紹介してみようかなと思いましたニコニコ

全文は非常に長くなりますので、一部ではありますが、ご紹介させていただきたいと思います。
(分かりやすいように、部分的に変更を加えています。)

もし、かつての私と同じ苦しみを何かご参考になりましたら嬉しいです笑顔

「Life Is Beautiful」…今は、心からそう感じられることが嬉しいです。

「自己を見つめる前と後での気付きについて」

(前略)

私の癒しの旅の始まりは、欝状態に陥り、ほとんど寝たきりのような状態になった時でした。

常に頭・思考がフル回転の状態で、失敗しないように、「どうしたら良いか」をいつも考えていました。
自分の予想していないことが起こると、些細なことでも強い不安やストレスを感じるため、毎日が緊張の連続でした。

そして30歳を過ぎた頃、突然、

「もうこれ以上は無理だ。どんな小さなことでも、何かが起きたら、もう崩れる。」

そう感じて、そこから全く動けなくなってしまいました。

心療内科での投薬治療を受け始め、少し回復してからは、並行してカウンセリングを受けました。

カウンセリングは完全に傾聴型のカウンセリングで、父母についての思いや自分の苦しみなどについて話しました。
ほぼ毎回泣いていたように思います。

1年以上に渡ってカウンセリングを受け、アダルトチルドレンに関する本を読み、行き着いたのは、
「自分自身を愛することが楽になる道だ」ということでした。

しかしその当時の私は、自分自身を世界で一番というくらい、心が醜く酷い人間だと思っていたため、「こんな人間を愛せるわけがない」と思いました。

こんな人間が許されるわけがない、と。

ということは、自分はやはり、このままずっと苦しんで生きていかなければならないのだと絶望しました。

それまでは、神やスピリチュアルといったものを毛嫌いしていましたが、ある意味やけっぱちになった私は、
「これで救われるなら」と、藁にもすがる思いで人から勧められたヒーリングを受け、そこからスピリチュアルの世界に足を踏み入れました。

(略)

スピリチュアルの世界では、「愛」ということが頻繁に語られますが、
私は、「愛なんて自分には縁が無い」と思っていました。

自分にも(人への)愛は無いし、人からも愛されない、と。

本気で愛というものが分かりませんでした。

そうして始まった癒しの旅でしたが、それが私の中で不動のものになったのが、溝口あゆかさんとの出会い、
EFTやマトリックス・リインプリンティングというセラピーとの出会い、
そして「ネガティブ・ナルシズム」という言葉との出会いでした。

「ネガティブ・ナルシズム」という概念を教えていただいた時は、本当に驚きました。

自分の長所は、謙遜などではなく、本気でひとつも思いつかない。
人生において、それほど悲惨な出来事は無いにも関わらず、ものごころついた頃から生きづらい弱い自分。
「私はものすごく不幸な人間だ」という自己憐憫とプライドのようなもの。


そんなおかしな人間は自分くらいだと思っていたのに、「ネガティブ・ナルシズム」は、まさに私のことであり、
そういうタイプの人がそれなりの割合で存在しているのだと知り、そしてそのタイプの根本的な原因も理解できて、
それだけでもかなり救われたような気持ちになりました。

しかしながら、最初の頃は、セラピーが「すべる」という壁があり、癒しはスムーズには進みませんでした。

(略)

癒しの旅が始まった最初の頃、私にとって最も大きなテーマは、母のことでした。

(略)

母をテーマに受けたセッションや自己ワークで出てきた幼い私は、母のことを、強烈に「可哀想な不幸な人」だと思っていました。

そして身を切るように、「私のことはどうでもいい、お母さんが可哀想」と泣いて訴えていました。

また、母が私に「分かって!助けて!」と覆いかぶさってくるような感覚。
それに対する強い嫌悪感。

と同時に、母に優しくできない自分への罪悪感。

自分も辛くて、これ以上は母を支えられない、逃げたい。
でも逃げたら母をひとりきりにしてしまう、見捨ててしまうという罪悪感。

それらを強く強く感じていました。

そして、母と一緒に苦しむことや、罪悪感、そういったもので母と深く繋がっていると感じていて、
そのために、それを手放すと母を見捨てることになる、繋がりが切れてしまう、そういう恐怖もありました。

また、幼い私は、とても強く「自分は父と母を守る人間だ」と思っていました。

そう思っているから、両親が不幸そうなのが我慢できない、腹が立つ。
母の愚痴に怒りが沸く。

それがはっきりと分かり、それだけでも、とてもスッキリしたのが印象的でした。

それまでずっと、自分と母を責めて苦しむばかりで、自分の心の中でこのようなことが起きていたとは、全く思いもしませんでした。

(略)

分かってはいても、「早く何とかしたい」「深い思い・感情を見つけて解放しなければ」そんな焦りが勝ってしまい、(癒しのワークに)取り組むのが苦痛でした。

だいぶ楽になってから、ようやく、あゆかさんのおっしゃる「好奇心」「愛を持って」ということが理解できました。

「自分はどうしてこういう反応をするのだろう?」と、責めるのではなく、
単純な好奇心と自分への愛、寄り添い理解したいという気持ちを持って、それを見て行く。

そうやって見て行くと、改めて「その思いを持っていること、その姿で居ることには必ず理由がある」
そのことが良く分かりました。

当たり前に思える日常の反応にも、思いがけない理由があり、驚きました。

そしてその理由は、深い心の傷から来る悲痛なものだったり、
健気でいじらしいもの、純粋なものだったり・・・。

そういった自分の全く気付かなかった様々な「声」を知り、
そして自分がどんな世界を見ていたかを理解して行くのは、

大きな驚きと面白さがあり、「そうだったのか」と分かった時の、何とも言えない腑に落ち感はたまりません(笑)

隠してしまった、忘れて置き去りにされてしまった自分との対話。

自分の本当の声を聴くこと。

そしてそれは、自ずと愛へ向かって行く。。。

それこそが、OADの素晴らしいところだと思います。

たくさんの涙と鼻水を流しながら、少しずつ、癒しは進んできたと思います。

今の私は、以前のように2週間サイクルで深く落ち込むことも無いし、
非常に疲れやすかったのも、だいぶ改善されました。

過食嘔吐も出なくなり、以前よりもずっと、お気楽に毎日を過ごしています。

ものごころついた頃からの「灰色の靄の中に居るような、重く、恐れでいっぱいな毎日」は、
思い出そうと思えば何となく思い出せるけれども、ずいぶん、ぼんやりと遠いものになりました。


「私は世界で一番心の醜い、酷い人間だ」とまで思っていたのが、
「私って結構いいじゃん♪」と思えること。
 
自然の美しさに心が震えることも増えました。
以前はそういったものが全く見えていなかったのだと思います。

何よりも、「愛なんて私には分からない、私には縁の無いものだ」と、心の底からそう思っていた私が、
「愛」を感じられるようになったこと。


自分の中に愛があることを、疑い深かった私が、
セラピーの中で、疑いようも無いくらい何度も体験して、それが「当たり前」になったこと。

これらは私にとって、本当にすごい変化です。

(略)

ある時のセッションで出てきた幼い私は、無表情で硬く、冷め切っていました。

「愛なんて白々しい」、「私を分かろうとしてくれる人は誰も居ない」
そう完全に諦めていて、

特に両親に対しては、「求めても絶対に絶対に無理だ」と、強く冷たくそう信じ切っていました。

あまりにもその完全に冷め切った感じ、何をしても無駄という感じが恐ろしくて、長く手も足も出ない状態でした。

けれども、やっと最近、セラピーの中で、その幼い私の「声」を聞くことができました。

完全に諦めて冷たく両親を見下すことで、辛うじて、「敵のような」と感じていた両親に対抗できると感じていた。

生きるための強さになっていた。
その強さが無ければ生きられなかった。。。

そのことが分かって、泣きました。

更に、その下から出てきたのは、
完全にひとりぼっちで、「自分ひとりでやっていかなければ」という深い孤独感。

その孤独感が自分にとってどういうものかをよくよく感じてみると、微かに「守ってくれている」という感覚が出て来ました。

どんな時も一緒に居てくれた。静かで何も言わないけれど、
私のすべてを分かってくれている。

孤独感は、幼い私がずっと、切ないくらいの強さで求めていた「完全に私を理解してくれるもの」であり、「一緒に居てくれるもの」であり、静かな温かい愛でした。

涙が溢れました。

(略)


ネガティブと言われる思いや感情が、実は自分の味方であったり、愛であるということ。

理屈ではさっぱり分からないし、上手く言葉にできませんが、それを感じた時の驚きと感動は、本当に大きなものです。

自分の身を以って理解する、、、
セラピーによってこういった経験ができることを、心からありがたく思います。

自分の本当の声を知る。それは自然に愛へと繋がる。

時に難しいこともありますが、その深さ、パワーを感じながら、まだまだ私のジャーニーは続いて行くと思います。

ここまで癒しの道を歩んできて、心の奥底では、
私は私自身を温かく見つめ、かけがえの無い存在として愛していることを感じています。

私の経験や目に映るものも、すべて愛していることも。


恐れも怒りも自己否定もまだまだありますが、それが感じられるようになるにつれて、「戻る場所」ができました。

感情に飲み込まれても自分を強く否定しても、少しずつ波は小さくなって、「大丈夫」の場所に戻ることができます。

「Life Is Beautiful」…
以前の私は、こんな言葉に嫌悪と羨望を感じていましたが、
今は、心からそう感じられることが嬉しいです。

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