自分が体験している世界や自分の考えが、どれだけアテにならないのか
私のブログでかなりアクセスの多いキーワードが「思考との同化」や「同化を外す」というキーワードです。
「思考との同化」「同化を外す」というキーワードでこちらのブログに来てくださる方は、かなりマニアックな方だと思います^^
心理セラピーやトラウマ療法…いわゆる「癒し」よりも、「悟り」や「非二元」に関心がある方が多いかもしれません。
「思考との同化を外す」というのは、悟りや非二元という領域だけの話ではなく、実は癒しにおいても非常に役立つ&大切なことです。
今回は、思考との同化を外していくために役に立つ、
自分が体験している世界や自分の考えが、どれだけアテにならないのか。
それをちょっと感じられるかも??なお話をしていきたいと思います^^
「思考との同化って聞くけれど、イマイチどういうことか分からない」という方、
そもそも「思考との同化って何??」という方は、こちらの記事をどうぞ↓↓
脳の無意識のプログラミング(フィルター)の存在。
前回の記事で、
というお話をしました。
ポイントを要約すると↓↓
脳が扱っている情報量は「1秒間に2,000bit」
それに対して、身体(五感)が扱っている情報量は「1秒間に4,000憶bit」と言われ、
これは本で言うと「約60万冊分」で、脳ですべてを処理するには「821年」もかかる情報量。
脳はこの受け取った身体(五感)情報のすべてを処理できないために、
情報を必要なものと不要なものに仕訳けして必要な情報だけを選択し、さらにパターン化や脚色(解釈)を行っていると言われる。
これによって、脳は毎秒4000億bitの情報のうちの2000bitを処理するだけで済んでいる。
脳の情報の仕訳け・選択や脚色といった作業は、脳の無意識のプログラミングに従って行われており、
このプログラミングは、6歳くらいまでに作られると言われている。
さて。
今回注目していただきたいのは、この中の
- 脳は、受け取った情報を仕訳けして、ごく一部のみを選択・採用し、さらにパターン化や脚色(解釈)を行っている。
- 脳の情報の仕訳け・選択や脚色といった作業は、脳の無意識のプログラミングに従って行われており、
このプログラミングは、6歳くらいまでに作られると言われている。
という部分です。
これは言ってみれば、
”私”という個人が認識・体験していることは、脳の無意識のプログラミングという”ひとりひとり異なるフィルター”によって仕訳け・選択し、脚色された情報である。
ということです。
同じ出来事を体験していても、内側で体験していることは人それぞれ違う。
「脳は受け取った情報の一部のみを、人それぞれの無意識のプログラミング(フィルター)によって仕訳して選択している」。
そのことだけでも、人によって「現実」と認識することが変わりそうだというのは、なんとなくイメージしていただけるかもしれません。
これは、
もし仮に、2人の人がまったく同じ身体(五感)情報を受け取ったとしても、
2人の無意識のプログラミング(フィルター)が違えば、その中からピックアップされる(仕訳け・選択される)情報は変わるため、
2人が実際に認識・体験することは、まったく違うものになる可能性がある。
ということです。
そしてさらに、無意識のプログラミング(フィルター)は、情報の仕訳け・選択(ピックアップ)だけではなく、独自のパターン化や脚色(解釈)までも行っているわけです。
例えば、「あなたが職場でAさんに挨拶をしたけれども、Aさんが挨拶を返さなかった」という出来事があったとしたら、あなたはこれをどう解釈するでしょうか。
- 「無視された!失礼だな。」という解釈
- 「無視されちゃったかも…私、何か悪いことしたかな」という解釈
- 「聞こえなかったのかな」という解釈
- 「急いでいて挨拶を返す余裕が無かったのかな」という解釈
- そもそもAさんが挨拶したかどうかをまったく気にしない
他にもあるかもしれませんね。
「出来事は同じでも、様々な解釈がありえる」ということです。
解釈においてもまた、「同じ出来事を体験していても、内側で体験していることは人それぞれ違う」と言えるでしょう。
実は、ひとりひとりが「まったく違う現実」を体験している。
この「無意識のプログラミング」、つまり「人それぞれ異なるフィルター」は、6歳くらいまでに作られると言われているそうですが、
これは完全に無意識的に作られるものです。
「私はこういうプログラミング(フィルター)にしよう!」とか、意識的にはやっていませんよね。
無意識のうちに、6歳くらいまでに体験したことや、それによって生まれた神経のパターンや思考パターン、社会常識などの教えられたことなど…それらの膨大な情報を元に、複雑な人それぞれ独自のプログラミング(フィルター)が生まれているのです。
この無意識のプログラミング(フィルター)は、当然人それぞれ違い、
そのプログラミング(フィルター)を通して知覚・認識した情報を「現実」や「世界」として体験しているわけですから(これを「投影」と言います。)
実は私たち人間は、ひとりひとりが「まったく違う現実(世界)」を体験していると言えます。
けれども多くの人は、自分が認識している情報が、この「無意識のプログラミング(フィルター)」を通したものだとは知りません。
だから私たちは当たり前のように、自分は現実を正確に捉えていると思っているし、
「みんなが共通の、同じ世界を見て体験している」と思っていますよね。
でも、実際はそうではないとしたら…?
ちなみに、トラウマがある場合(特に発達性トラウマ)、
この「無意識のプログラミング(フィルター)」は、不安や恐れにフォーカスが向きやすくなっていたり、不安や恐れをピックアップしやすくなっていて、
また解釈も、苦しい解釈になりがちな状態です。
”無意識のプログラミング(フィルター)は6歳くらいまでに作られる”と言われるのですから、6歳くらいまでの人生が辛いものだった人の場合は、プログラミング(フィルター)の中身が不安や恐れに基づいたものになってしまっているのです。
適切に癒しに取り組むことで、この無意識のプログラミング(フィルター)の中身が、自分にとって楽なものに変わって行きます。
すると、今までは不安を感じた状況でも、それに対する見方や解釈が楽なものに変わって気にならなくなったりすることが起こり得ます。
たとえ状況が変わらなくても、自分の無意識のプログラミング(フィルター)が変われば楽になる可能性があるということです。
「分かり合う」って、実は思っている以上に難しいことのかもしれない。
実はひとそれぞれ、別の現実(世界)を体験しているにもかかわらず、
ほとんどの人間が「全員が共通の、同じ世界を見て体験している」と思っている。
そこに「ズレ」が生まれます。
我が身を振り返っても、この「ズレ」から生まれている問題や揉め事が、世の中には溢れているなあとつくづく思うのです。
例えば、綺麗好きなAさんは、床に目につくゴミが落ちているのが嫌で気になってマメに掃除をするけれども、Aさんの夫は、多少のゴミは気にしないし掃除をしようともしない。
Aさんは夫に対して「ゴミが落ちてることになんで気付かないんだ!」「汚れているのに掃除しないなんて!」と腹が立つ、というような時。
これは、Aさんのプログラミング(フィルター)では、「床にゴミが落ちている」ことがピックアップされ認識されて、さらに「それはダメなことだ」と解釈がされているわけです。
けれども夫のプログラミングでは、「床にゴミが落ちている」ことが、そもそもピックアップされておらず気付いていない(意識していない)か、仮にピックアップされていたとしても「ダメなこと」という解釈はされておらず、それゆえに気付かない、気にならない、ということになっているのかもしれないのです。
「私にとっての当たり前」は、「相手にとっての当たり前」ではないかもしれない。
もしかしたら、相手のフィルターを通した情報では、
まったくスルーされて無いことになっているのかもしれないし、
自分とはまったく違う解釈が行われているのかもしれない。
そんなふうに想像してみるとどうでしょう?
もしかしたら、これまでよりも少し「じゃあ分かり合えなくても当然かもね」と思えるかもしれません。
そう。
「分かり合う」って、実は思っている以上に難しいことのかもしれない。
でも、それは決して悲しいことではなく、
「人それぞれ、見ている世界、体験している世界が違うんだ」と、それをちゃんと認識すること。
そのほうが、
「自分が絶対に正しい」とか、「なんで分からないの!?」「分かってよ!!」とかいうよりも、平和で優しい世界だと思うのです。
人と衝突するときって、たいていは「自分が正しい!」同士のぶつかり合いだったりするのですが(私もそういうこと、いっぱいしてます( ;∀;))、
自分が思っている”正しさ”って、自分のプログラミング(フィルター)だとそう思えるだけのことで、
実は、かなりアテにならないもの…少なくとも「絶対的な正しさではない」ということです。
「自分」が揺らぐ~思考との同化からの目覚め~
さて。
ここまで見てきたように、
ひとりひとりが違う現実(世界)を見て体験していて、
自分が見たり感じたりしている世界が「絶対」ではないとしたら・・・?
どんな感じがするでしょうか。
もしかすると、自分が見ている「現実」や自分の考えというものが、実は「あまりアテにならないものだ」ということが何となく感じられて、自分が揺らぐような感覚を感じる方がいらっしゃるかもしれません。
もしそういう方がいらっしゃったら
おめでとうございます!
とお伝えしたいです^^
この「自分が体験している世界や自分の考えが、どれだけアテにならないのか」に気付き始めることが、
【思考との同化からの目覚め】の最初の一歩だからです。
【思考との同化からの目覚め】とは、「自分」という苦しみからの解放です。
「自分」という苦しみからの解放、
次回はそのことについて書いてみようと思います。