「自分を愛する」ということ。

「自分を愛する」とか「自分を受け容れる」ということについて、
以前の私は、こんな風に思っていました。

自分で自分を愛するとか受け容れるとか、そんな虚しいことはない。
私が欲しいのはそんなものじゃない!
人から愛をもらえてこそ意味があるんだ!!

けれども今は、

自分がいちばん欲しいものを与えてあげられるのって、
自分自身なんだなあ…

そんな風に感じています。

そして、別に自分を愛せなくていいと思います
(「愛する」って、どういうことでしょうね?^^)

愛せなくても、ひとりの人間として大切にしてあげることはできます。

そういう私も、自己否定が激しすぎて「自分を大切にするなんて到底無理!!…というか意味が分からない。」というところからスタートしたわけですが。
自分を大切にしてあげることが難しいのは、自分の中で起きていることを知らないからだと、今はそう思っています^^

この人生で、何が起こったか。

どんな風に思ったか、どんな風に感じたか。

何故そのような行動を取ったのか。

本当はどうしたかったのか、どうして欲しかったのか。

本当に当たり前すぎることだけれど、でも

それを知っているのは、
本当に理解できるのは、

「私」しか居ない。

だったら、私が、私を理解しよう。
しっかり見てあげよう。

…と言っても、「どんな風に思ったか」とか「本当はどうしたかったのか」というのは、
どれだけ頭で考えても、顕在意識のレベルでは、ほとんど分からない。


私たちは、本心を深く抑圧したり誤魔化したりすることが当たり前になってしまっているから。
無意識にそれをやっていて、そのことにまったく気付いていないから。

それが本当に難しいところなのだけれど。

でも。

身体の感覚にしっかり寄り添う心理セラピーなどで、
自分の奥底の「真実」を、ちゃんと知って行くこと、理解していくことができます

まだまだあまり知られていないこのことを、
それを必要としている人に知ってもらえたらと、心から願っています。


私はずっと、いまここにいる、そのまんまの自分から目を逸らし続けてきました。

ものごころついた頃から、自分を心底ダメだと否定して苦しんで来て。

そして癒しに取り組み始めてからも、

「もっとこういう自分になれれば…」
「これを癒して楽になれば、変われば…」

と、そうやって「今ではない自分になること」を目指していました。

こんな風にずっと、いまの、そのまんまの自分を見ずに、
先へ先へ、「今よりもより良い、より楽な自分」を目指して進んできたわけです。
(実際はそんな自覚も無く、無意識にそれをやり続けて来たのですが。)

けれども、その目を逸らし続けていた自分の方を、勇気を出して振り返った時に。(それは私にとって勇気の要ることでした。)

そこに居たのは、

特別でもなんでもなく、
色んな苦しみや葛藤を抱えて生きて来た、
そして、誰よりも私自身に置き去りにされてきた、
「なおこ」というただの普通の人間でした。

そしてそれは、愛おしいひとりの人間でした。

そんなに虐めなくてもいいよなあ。
この人と一緒に生きてきたし、生きて行くってことなんだな。

そんな風に感じました。


「私」を知ること。感じること。
「私」が、私を満たしてあげること。


そして、「この私」を生きること。

そう願う方のサポートをさせていただけたらと思っています^^

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