やさしくふれると世界は変わる。「触れること」の意義と価値とは?存在に触れることの癒し「こころにやさしいタッチケア」

「触れること」や「触れられること」に、

どこか抵抗や苦手意識がある。

それが大切かどうかなんて、考えたこともない。

そういう方は意外と多いかもしれません。

私は、NPO法人タッチケア支援センター「こころにやさしいタッチケア講座」のファシリテーターという資格を持っていますが、

元々私は「触れること」「触れられること」がすごく苦手で、そういうものにまったく興味が無かったし、
どちらかと言うと「自分には関係も必要も無いもの」として避けて来ました。

なので、タッチケアの資格を取ったなんて、過去の自分はびっくりするだろうと思います。笑

けれども今は、さまざまなプロセスを経て、

「触れること」、つまりタッチというものが、人間にとってどれだけ大切で、「滋養」ともいうべきものであることを実感しています。

この記事では、「触れること」「触れられること」が苦手だった私が、なぜ変わったのか、そのプロセスと、

タッチの価値や意義をお伝えします。

ぜひ多くの方に、この「触れること」の意味と大切さを知っていただけたらと願っています。

目次

「触れること」が苦手だった私が、タッチケアを学んだ理由。

私は、これまでに様々な講座やセッションを受けて来ましたが、

その中で時々、「自分に優しく触れてみましょう」「自分を抱きしめてみましょう」というワークがありました。

「気が進まないなー」と思いつつ渋々やってみるのですが、やっぱり特に気持ち良さも無いし、安心も感じない。

嫌悪感までは無いものの、自分に触れても、

うん、触れてますね。
で、何か??

という感じ(;’∀’)

そんな状態だったので、私の癒しのプロセスはもっぱら「心の中で何が起きているか、心の深層を見て行くこと」に関心が向けられていました。

「身体」の大切さや、心と身体が繋がっていることは理解していたので、ボディワークを受けたり、トラウマ解放のエクササイズに取り組んだりもしましたが、
それは「改善」が目的であって、ただリラックスするとか安心するとか、そんなものは求めてもいなかったのでした。

そんな私が、なぜタッチケア講座を受講し、そしてファシリテーター資格まで取得したのか。

それは、ある日、自分で自分に対してセラピーをしていた時に(こういうセルフワークを日々やってます。)、
ふと、自分のお腹と胸に触れたくなって、触れてみたことがありました。(単に触れるというよりも、ぎゅっと圧をかけて手を身体に密着させたい感じでしたので、そうしました。)

すると身体で、不思議な心地良さ、安心感を感じたのです。
それはまるで、誰かにぎゅっと抱きしめてもらっているかのような感覚でした。

その時に、こんなふうに感じました。

触れることって、もしかしたら、人間にとって根源的なもの…

すごく大切で、必要なものなのかもしれない。

そこから「触れる」ことに興味が湧き、知人から教えていただいて出会ったのが、NPO法人タッチケア支援センター(代表:中川れい子さん)の「こころにやさしいタッチケア講座」でした。

タッチケアは、「治療」とか「何かを改善する」ことが目的ではありません。

けれども、タッチケアの価値や意義は、人間にとってものすごく大きいと、今の私は感じています。

タッチケア…「触れること」の価値や意義とは。

治療や何かの改善ではないのに、

価値や意義が大きいというのは、どういうことかというと…

タッチケアにも、リラクセーションや自律神経系の調整などの目的や「効果」はあります。
(実際にそれらの科学的なエビデンスもあります。)

でもそれに留まらず、

目的や理屈を超えて、
人間にとっての根源的な、大切なところに働きかけるもの
ではないかと思います。

「触れること」「触れられること」は、

その人の存在そのものに響くもの。
人間にとって根本的に必要で大切なもの。
人間が根源的に求めているもの。

そういったものだと思います。

また、人に触れること・触れてもらうことは、

お互いの存在が共鳴すること。
存在としてのコミュニケーション。
深いところで繋がり合うこと。

大袈裟だと思われるかもしれませんが、これが今の私の実感です。

やさしくふれると、世界は変わる。

「こころにやさしいタッチケア講座」のテキストにはこんな詩があります。

やさしくふれると、世界は変わる。

わたしにふれる いのちにふれる
自然にふれる 世界にふれる

タッチケアは、いのちのぬくもりと
今・ここで、共に在ることを伝え

こころとからだを癒し、
つながりを再生します。

(出展:こころにやさしいタッチケア ワークブック入門編)

本当にその通りだなあと思うのです^^

「触れること」「触れられること」は、人間にとっての「滋養」

けれども私も、タッチケアを学ぶにあたって、最初からこんな風に感じていたわけではありません。
(何しろ「で、何か??」状態だったので(^^;))

タッチケアについて学び、実践していく体験の中で、これらを実感して来ました。

講座の中では、受講生同士でのタッチの実践ワークが沢山あるのですが、最初の頃はやはり触れられることに抵抗もありました。

お互いの背中に触れあうワークの時は、後ろから相手の手が近づいて来た感じを感じた瞬間に「自分を閉じる」感覚になったことに気付いたこともありました。(背中も本当に敏感です。)

そんな状態から始まって、その後、タッチの練習やセルフタッチングで「触れる」体験を重ねる中で、
先ほどお伝えしたような「触れること・触れられることの価値と意義」を感じていったのでした。

ファシリテーター講座の最終日のこと。
ワークで、先生が私の背中に触れる機会がありました。

触れてもらっている時に、不思議な感覚を感じました。

優しく「大切な存在」として触れてもらっているような感覚。

それを感じた時に、理屈ではなく、

自分の深いところで、「あなたは大切な存在だよ」というメッセージを受け取ったような感覚がありました。

ああ、これか…!!と思いました。

「こころにやさしいタッチケア講座」の中で、

大切な存在として触れること。
そのことによって、触れられた人が、自分を大切な存在なのだと感じられることがある

と学んで、「うんうん、そうだろうなあ」と思いはしましたが、
この時まで、実感をともなう体験は無かったのでした。

「大切な存在」として接してもらう感覚を、あまり感じられずに生きて来た。

私たちは、こうした感覚・・・・

「大切な存在」として接してもらう感覚や、

ありのままの自分を認め尊重してもらう感覚を、

残念ながら、あまり感じることができずに生きて来ています。

特に、苦しみを抱えている人の場合は、

あまり感じられなかったというよりも、
ほとんど感じられて来なかった可能性も高いです。

こうした感覚を感じることは、
存在としての癒しにも繋がって行くように、私は感じます。

講座の中では他にも、相手と「いまここ」で触れ合い、繋がり合う感覚や、深いリラクセーションなど、色々な感覚を感じることができました。

それは、私にとって大きなギフトでした。

こうした経験を経て、「タッチケアを多くの方に知っていただけたら」と思うようになりました。

今の時代、「触れること」とその機会は十分にあるとは言えません。

触れること・触れられることに抵抗や不安を感じる方も多いと思います。
そして、コロナ禍でその機会はさらに減少しています。

けれども、

「触れること」「触れられること」が、
どれだけ人間にとっての「滋養」なのか

それを多くの方に、実際に感じていただけたらと願っています。

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