「悟り」を求めるのは、生物的なデザインでもある??

いま、身体性についての講座を受けています。

最近の記事で「完全に委ねて安心してみる」みたいなことを書いたあと、

タイムリーに、その講座の中でこんな話を聞きました。(だいぶ表現はうろ覚えですが💦)

胎児は(身体的に)完全に委ねている状態。
委ねている状態でないと生まれて来ることができない。
誕生して臍の緒が切られてから自立の道を歩き出すが、
大もとの「委ねる」という感覚を身体で感じて行くことが大切。

この話を聴いた瞬間に「おお!”あれ”とほぼ同じじゃないか!!」と思いました。

その「あれ」とは、この記事で書いた「自我(エゴ)としての私たち人間」そのもの。

全一である源の感覚が、どこかに…意識の深層に微かにありつつも、
人間として生まれて、「自分は独立した個人だ」という前提のもと、
自力で、自立して頑張っている。

その人間の状態そのままだなあと。

ちなみに、胎児が完全に安心して委ねている状態かと言うと、
胎児は外の世界や母親の状態を敏感に感じているため、状況によっては既に緊張や不安、恐れなどを感じていると思います。

が、

身体としての「委ねる感覚」は、必ず、どんな人であっても、深いところに存在しているということです。

それって、何だかすごいことだなーと思うのです照れ

私たちは多くのことを頭(思考)で解釈・理解して「頭のもの」にしてしまいがちです。
「悟り」も、たとえば「人間が到達できる究極の境地✨それを私が得たい!!」みたいにしてしまったり。

けれども、この話を聞いて、

「悟り」を求める欲求の何割かは(場合によってはかなりの割合が)
この人間の大もとの「完全に委ねる感覚」「絶対的な安心感」への回帰欲求のようなもの…

つまり、生物的な、本能的なものでもあるのかもしれないなあと思ったのです。

(もちろんそれだけではなく、どこから来ているのかも分からない「真実への欲求」もあると思います。)

そして、悟りに向かう?ための色々なワークのようなものがありますが、
悟りへの欲求において「完全に委ねる感覚」「絶対的な安心感」の割合が高い人なら、身体的なことを意識するのも大切なのだろうなと。(例えばヨガのシャバアサナとか。あれは完全に「委ねる」の状態ですよね。)

そして、

身体のリラックス、脱力、「委ねる感」を感じるって、別に悟るためじゃなく、笑
色んな意味でとっても大切です。

自律神経やホルモンバランスの乱れを整えてくれたりもします。

ぜひ自分なりの「委ねる」を見つけて実践してみるのをおススメしますピンクハート

「委ねる感覚」「本当のリラックスの感覚」が分からないかも…という方は、
まずは自律神経の調整から取り組んでみてください。(最近この話ばかりですが、、、汗)

自分でできるワークが色々と紹介されている、以下の本がお勧めです。
(なお、決して著者の方の回し者とかではありません。笑)

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