心の平和というのは、決して感情の切り離しや抑圧ではない。
今回は、セッションを受けてくださったAさんのご感想を紹介させていただきます。
Aさんは、10年ほどご自身の癒しに取り組んで来られたそうですが、
「どうしても動かないものがある」ということで、セッションを受けてくださいました。
セッションの中で、その「どうしても動かなかったもの」が動き始め、
それとともに、怒りや悲しみといった感情が出てきました。
Aさんは、「なんだか、感じられて嬉しい感じがする…」と、
怒りや悲しみを、涙とともに味わっていらっしゃいました。
そして、非二元について学び、「気付きの意識」に留まろうとしてきたことが、
ご自身にとっては、感情の切り離し・抑圧になってしまっていたことに気付いたと話してくださいました。
Aさんのように、非二元の探求、「気付きの意識」に留まろうとすることが、
感情の切り離しや抑圧になってしまっている方も、それなりにいらっしゃいます。
辛い気持ちや苦しみ、自分にとって都合の悪い感情などを「この感情は自分ではない」と切り離してしまえば、
心は揺れませんし、「楽だ」と感じるかもしれません。
確かに真の意味では、どんな思いや感情も自分そのものではありません。
けれども、真の心の平和というのは、決して感情の切り離しや抑圧ではなく。
ちゃんとそれらがあることを認めて、感じること。味わうこと。
自分の中に、どんな思いや感情があっても大丈夫だと知っている。
そして、それとともに在ることができる。
それが平和であり、
そして人生の豊かさではないかと私は思うのです^^
同一化を外すことと、切り離し・抑圧は違う。
癒しにおいて、同一化を外すことは非常に大切ですが。
同一化を外すことと、
切り離し・抑圧は違います。
感覚的な違いになってしまうので難しいですが…
その感情や感覚に対して、
意識的or無意識的な否定や抵抗があると、切り離し・抑圧になってしまいます。
なお、無意識の否定や抵抗の場合、この否定や抵抗は非常に微妙な感覚なので気付きにくいのですが、
(私たちは微細な筋肉の緊張などで感情を抑圧していたりします。)
身体に意識を向けて感覚を感じることに慣れ、微細な身体の感覚を拾えるようになると、
こうした微妙な否定や抵抗に気付きやすくなり、癒しが進みます。
いま、自分の内にあるものを味わうこと。
人間が存在する意味や、自分がどうして生きているのか、
宗教やスピリチュアルと言われる分野では色々なことが言われますが、
それは、私には分かりません。
生きる意味とか使命とか、「いま」とは離れた、いつかの未来や、どこか別のところにあるようなものを生きようとするのではなく、
ネガティブと言われる感情や感覚も、それへの否定や抵抗も、かつて切り離してしまった感情も…
いま、自分の内にあるものを味わう。
それが、この”いのち”を生きることではないか。
そんな風に思います。
Aさんのご感想
それでは、Aさんのご感想をご紹介します^^
ちなみに…
Aさんは、ご感想にあるように、1回のセッションで楽になったと感じてくださいました。
長く抱えてきた苦しみについて「楽になった」と感じられるまでは、それなりの時間・セッション回数が必要な場合の方が圧倒的に多いですが、
Aさんのように1回、もしくは数回のセッションで楽になったと感じられる方もいらっしゃいます。
ですので、ご興味のある方は、まずはお気軽に1度セッションを受けてみていただけたらと思います^^
【Aさんのご感想】(ご本人のご了解をいただき掲載しております。)
セッション、ありがとうございました。
あの後本当に眠気に襲われ、久しぶりに夢を見ずにぐっすり寝ました。
沸き上がる思いを見続けるのに疲れきっていて、身体的な癒しや自分に優しくするというアプローチに心の底からほっとしました。
今は、両親へのネガティブな気持ちが沸き上がるたびに『そりゃ、嫌いになるよ!そりゃそうだ!』と、少し笑って、より距離をとって安全な場所から見つめられるようになりました。
昨夜、『相手から何か嫌なことをされても自分にひっかかりがなければ、全部相手の問題として見れる』という言葉があり、
きっと過去に何度も何度も同じことを聞いてきたはずなのに、初めて心の底から『そっかあ~』と納得できました。
自分に優しくすることで、人の言葉を受け入れる余裕ができたのかもしれません。
きっと、私みたいに非二元にこだわりすぎて、自分でも気づかず感情を止めてしまっている人が沢山いると思います。
なおこさんのセッションが沢山の人に伝わるといいなあと思っています
ありがとうございました!