「ネガティブ・ナルシズム」と特別意識…「私は特別な人間だ」という思いについて(ネガナルあるある♪)

「ネガティブ・ナルシズム」(通称「ネガナル」)のシリーズです。

「ネガティブ・ナルシズム」シリーズは、こちらの記事からご覧ください

目次

ネガナルには、結構多くの共通した特徴がある

さて。

このあたりで、「ネガティブ・ナルシズム」(以下「ネガナル」)について、

ネガナルあるある♪

をお送りしようかと思いますにひひ

ネガナルの方は、

「私がどこかおかしいのだ」
「私は他の人とは何かが違う」
「こんな人間は私くらいだ」

そんな風に感じていたりすることが多いのですが、

実は、ネガナルの方って、結構多くの共通した特徴があるんです。

残念!!
「私だけ」じゃなかった!!!( ;∀;)

でも、私はそれが分かって、とても救われた気持ちになったのですがニコニコ
「ああ、私みたいな人が他にもいるんだ・・・」って。

ネガナルのセラピスト仲間と、

「めちゃめちゃ分かるよ!!」
「それ、あるよね!!!」

そういう話で盛り上がったりすることもあります。笑

そんなこともあり。
今回は、その「ネガナルはあるある」の中のひとつ、

特別意識についてお送りしますニコニコ

以下でお伝えする内容は、「ネガナルの方に多く見られる特徴」ではありますが、
ネガナルの方すべてに当てはまる訳ではありません。
同じネガナルでも、もちろん、人によって様々に違います。

「自分は特別な人間だ」という特別意識。

私は、ものごころついた頃には、何故だか「自分は特別な人間だ」と感じていました。

どんな風に特別かと言うと、

他の人よりも、ものごとが分かっていて、一段(というか、何段か)上に居るような感じ。

神様に選ばれた人間のような感じ、とも言えるでしょうか。

とにかく「私は他の人とは違うんだ」と、そんな風に感じていました。

けれども、同時に、

「平凡でつまらない、まったく何の取り柄も無い人間だ」

心の底から、そんな風にも感じていました。

自分でも薄々感じていましたが、
その特別意識は、「不幸な私」と、ガッチリ結びついていたのです。

私は、幼い頃から自分のことを「不幸な人間だ」と感じていた。
幸せに縁が無く、愛情に全く恵まれず、みじめで、不幸な自分。

こんなに苦しい思いを味わっている私は、
呑気に、幸せそうに生きている他の人たちとは違うんだ!

こんな思いをしているんだから、私は、すごい人間なはずだ!特別な人間なはずだ!!

そんな風に思っていました。

小学校から始まり、学生時代の同級生は、何も知らない、人間の浅い、くだらない人たちに見えていました。
自分でも、そんな自分をなんて酷い人間だと思っていましたが、それが私の本心でした。

同時に、彼女たちがとても無邪気に、幸せそうに見えて、心の底から羨ましくもあったのですが。。。

その特別意識の故に、

「私は他の人とは違うんだ」と、人を見下して、
けれどもどこかで、自分はその人たちよりも「下」だと感じている。

「私はすごい人間なはずだ」という特別意識と
その真逆の、低すぎる自己価値。劣等感。

そのギャップ。

それもまた、私の苦しみの大きな部分を占めていました。

余談ですが、、、

特別意識と、低すぎる劣等感の両方があるために、
「私は特別な人間だ」じゃないんですよねえ。

「特別な人間なはずだ」っていう感じです。

どこかで「実は違うんだ、本当はつまらない人間なんだ」と思っているので。。。

そしてまた、訳の分からない特別意識を持って人を見下す自分のことを、

私は勘違いも甚だしい、最低の人間だ…

そう思って、激しく責めてもいました。

「こんなのは私だけだ…」のはずが???

ここまで読んでいただいて、「分かる!!!」と思ってくださった方はいらっしゃいますでしょうか( ;∀;)

つまり・・・

この「特別意識」に苦しんでいるのは、
あなただけじゃありませんよ~照れ

ということです。

「こんなのは私だけだ…しょぼん」って思っていましたか?

私は、そう思って苦しかったです。

でも、どうやら違うんです。
「私だけ」じゃないみたいです。笑

どうぞご安心くださいニコニコ

そしてネガナルについて研究をしていく中で、
どうやら、ある「タイプ」がネガナル状態になりやすい・・・ということが分かって来ました。

「ネガナル」とエニアグラムのタイプ

さて、ここからはそのタイプのお話…「エニアグラム」の話になります。

エニアグラムとは、個人の持って生まれた性格タイプを、9つに分類したものです。

私はエニアグラムの専門家ではないので、ご興味のある方は調べてみてくださいね。
ネット上にも簡易診断テストなどが沢山あります。

・・・が、エニアグラムは自己診断が非常に難しいと言われていますので、
ご自身で判断されたタイプについては、ご参考程度にしていただければと思いますm(_ _)m

書籍も出ています。以下が詳しく参考になると思います。

新版 エニアグラム【基礎編】 自分を知る9つのタイプ


ネガナルは、「エニアグラム」の「タイプ4の5ウイング」、「タイプ5の4ウイング」に該当する人に、極端に多いということが、溝口あゆかさんとネガナルについて語る中で見えて来たのです。

但しこのタイプの人が、必ずしもネガナルになるわけではありません。
「ネガナルの人に、そのタイプが多い」ということです。

何故、エニアグラムのそのタイプにネガナルが多いのかは分かりません。

これは、完全に個人的な見解ですが・・・

生まれつき、かなり敏感な人で、かつタイプ4の場合、
その敏感さと、タイプ4の「特別感」と、タイプ5の「思考型」が合わさって、強力にネガティブに同化してしまう。

私は、そんな風に感じています。

そう、「特別感」は、エニアグラムの「タイプ4」の特徴なのです。

エニアグラムの各タイプを ひと言で表現した時、

タイプ4は

「I’m unique」(日本語では「個性的な人」「芸術家」と訳されたりするようです。)
「私は特別である」ということを、何より大切に思う・求める

そんな感じです。

特別感は、タイプ4の宿命のようなもの、と言えるかもしれません。笑
(もちろん、どういった形で特別感を持つ・求めるかは、人により様々です。)

ネガナルの人は、エニアグラムの「タイプ4」「タイプ5」について知ることも、自己理解・自己承認に繋がると思うのでおススメです。

満たされなかった「私だけを見て!」という子どもの欲求。

健全な自我の発育の過程で、幼い子どもの中に「私だけを見て!」とか「私ってすごいでしょ!!」という欲求が生まれます。

子どもって、「お母さん見て見てー!!」と、養育者の関心を惹きたがることがありますよね。

子どもは、親や養育者から関心や意識を向けてもらうこと、しっかりと「見て」もらうことで
自分が認めてもらっている感じや、自分自身の存在というものを感じることができます。

関心や意識を向けてもらうこと、「見て」もらうこと、
そうった体験が少ないと、
子どもは、自分の存在に不安を感じたり「自分の存在を認めてもらえない」という感覚を持ったりします。

なお、これは、言語獲得以前の体験による部分が大きく、思い(思考)や感情以前の「感覚レベル」の話です。

しっかり「私」を「見て」もらうこと、関心や意識を向けてもらうこと、
また「私ってすごいんだ!」という自己の十全感を感じることは、
子どもの健全な自我の発育においては、非常に重要なことなのです。

これは完全に私の個人的な体験から考えることですが、

ネガナル状態の人は、この「私だけを見て!」「私ってすごいでしょ!!」という欲求が十分に満たされなかった…
そのため、その子どもの欲求が今でも自分の中に満たされずに残り続けていて、
その満たされない部分が「私を見て!」「私はすごいんだ!」と叫び続けている。

つまり、特別感の正体は、

満たされない感覚を抱えて「私を見て!」「私はすごいんだ!!」と叫んでいる小さな子ども

そんな風に感じるのです。

「特別感」の拠りどころが、「苦しんでいる自分」しか無い状態。

そして、ネガナルは、ネガティブな思い(自己像・セルフイメージ)と自分とが、がっちり【同化】しているために、

この「特別感」も、ネガティブとガッチリ結びついてしまう。

タイプ4の「特別感」の拠りどころが、「苦しんでいる自分」しか無い…
そんな状態なのです。

そして、ネガナルの「ナルシズム」的なところも、この「特別感」から来ていたりもします。

どこかで「不幸な私」に酔っている…
不幸な自分への自己陶酔。

ネガナルの人には、どこか、そんなところがあったりもします。

これは「良い・悪い」という話ではありませんニコニコ
あくまでも、ネガナルの人が持つ「特別感」の仕組みとして、こういうことが起きていますよー、ということです。

「特別感」にしがみついてしまう。手放せない・・・

更に、この「特別感」が厄介なのは・・・

「特別感」「特別な自分」が支えになっていて、それを手放したく無いので、
その特別感の拠りどころである苦しみやネガティブを、どうやっても手放したく無いえーん

これを具体的に、私の例で言えば、

「不幸で、人よりも苦しんで来たからこそ、人よりも分かっている自分」
そういう特別感を感じていて、

その特別感が無くなってしまうと、
平凡でつまらない、まったく何の取り柄も無い自分が、露わになってしまう

それを思い知らされる。。。

それはイヤだ!
自分のことを特別だと思っていたい!
私は特別なはずなんだ!!

だから、

「不幸な自分」「人よりも苦しんで来た自分」を、
手放せない、手放したくない。。。

こんなことが起こるのです。

この執着・しがみつきと言ったら、すごいですよ~にひひあせる

けれども、

「なるほど。心の中で、こういうことが起きているのだ」
「こうなっていたのだ」

それを理解することで、
それだけでも、少し楽になることができるはずです。

こうやってご自身を理解していくことも、楽になって行くために役に立つと思います。

「私は特別なんだ!」と叫んでいるあなたの声に、耳を傾けてあげてみてください。

私が何よりお伝えしたいことは、

どうか「特別意識」を持っているご自分を許してあげてください、ということです笑顔

私は「特別意識」を持っている自分のことを、ずっと責め続けて苦しんで来ました。
「自分のことを特別だなんて思ってはいけない!何とか変えなければ…」と苦しんで来ました。

でも、「自分は特別なんだ!」と思うことで、何とか自分を守って生きて来たのです。
そうしなければ、生きて来られなかったとも言えるのです。

「私は特別なんだ!」と叫んでいる、
あなたの中のあなたの声に、どうぞ耳を傾けてあげてみてください。

その声は尊大で固くて、心底 人を見下している「最低な奴」という感じかもしれない。

でも、その奥に居るのは…

ジャッジせずに、「私は特別なんだ!」と叫んでいる自分をじっと見つめてあげることで、
その尊大な自分の「本当の姿」が見えてくるかもしれません

満たされなかった「私だけを見て!」という子どもの欲求。

最後に、私の個人的な体験から感じていることをお伝えしますね。

健全な自我の発育の過程で、幼い子どもの中に「私だけを見て!」とか「私ってすごいでしょ!!」という欲求が生まれます。

子どもって、「お母さん見て見てー!!」と、養育者の関心を惹きたがることがありますよね。

子どもは、親や養育者から関心や意識を向けてもらうこと、しっかりと「見て」もらうことで
自分が認めてもらっている感じや、自分自身の存在というものを感じることができます。

関心や意識を向けてもらうこと、「見て」もらうこと、
そうった体験が少ないと、
子どもは、自分の存在に不安を感じたり「自分の存在を認めてもらえない」という感覚を持ったりします。

なお、これは、言語獲得以前の体験による部分が大きく、思い(思考)や感情以前の「感覚レベル」の話です。

しっかり「私」を「見て」もらうこと、関心や意識を向けてもらうこと、
また「私ってすごいんだ!」という自己の十全感を感じることは、
子どもの健全な自我の発育においては、非常に重要なことなのです。

私の中の特別感・・・「私は特別な人間だ!」と叫ぶ声を、身体の感覚と共に感じて行った時に、
その叫びが、幼い子どもが必死で叫んでいる声のように感じられました。

ここからは、その声に寄り添って見えて来た、私の個人的な体験から考えることですが・・・

ネガナル状態の人は、この「私だけを見て!」「私ってすごいでしょ!!」という欲求が十分に満たされなかったのではないか。

そのため、その子どもの欲求が今でも自分の中に満たされずに残り続けていて、
その満たされない部分が「私を見て!」「私はすごいんだ!特別なんだ!!」と叫び続けているのではないか。

つまり、特別感の正体は、
エニアグラム的な、生まれ持っての性質から来るものだけではなく、

満たされない感覚を抱えて「私を見て!」「私はすごいんだ!特別なんだ!!」と叫んでいる小さな子ども

特別感の奥には、その子も隠れているのではないか…
そんな風に感じるのです。

身体に寄り添って、自分の心や意識の深い部分に触れて行くことで、

自分がどんな状態だったのか、
自分に何が起きていたのか、


そういった、自分自身の様々な「真実」が見えて来ます。

自らがその「真実」に触れることで、
自然に生まれてくる自分への深い理解や労り、愛
・・・

苦しみを抱えて来られた方に、ぜひそれを体験していただけたらと願っています。

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