自分に優しくできないあなたへ~癒しも「北風と太陽」②

💌この記事は…

  • 自分に優しくすることが難しい。
  • どうしても自分を責めてしまう
  • 自己否定が強い。
  • 自分に対して、ものすごく厳しいと思う
  • 仲の良い家族が羨ましくてたまらない。
  • 幼い頃に、あまり愛情を感じられなかった。
  • 「安心」を感じたことが無い気がする。

こんな方に読んでいただきたい内容です。

もしあなたが今、こんな風に感じているなら。

この記事が、
そこにあるかもしれない「理由」についてのヒントになるかもしれません。

ほんの少しでも、ご自分の苦しみについて理解する助けに繋がれば嬉しいです。

目次

「北風」にしかなれないあなたへ。

こちらは、前の記事の続きになります。

癒しにおける大切なことを、「北風と太陽」の物語になぞらえてお伝えしましたが…

「北風」では、人は変われない

そう頭では分かっていても、
でも、自分に対して、そんな風にしかできない。

かつての私は、そんな状態でしたし、

そんな方に向けて、

なぜ私が「北風」にしかなれなかったのか。
それを書いてみたいと思います^^

なぜ「北風」になってしまうのか。

かつての私は、言ってみれば「暴風警報級の北風モード🌀」で、
「太陽」なんて、まったく存在していませんでした😂

私が「北風」にしかなれなかった理由。

もちろん理由はひとつではありませんが、
特に大きかったのは、次の2つです

  • 自己否定が激しすぎたから。
  • そもそも「太陽」を知らなかったから。
    そして、自分にとって、それがどれだけ必要で大切かを知らなかったから。

ひとつずつ見て行きましょう。

激しすぎた自己否定。

私はものごころついた頃から、激しい自己否定の中にいました。

自分を心底、劣ったダメな人間だと感じていたし、
本気で「世界で一番、心が醜い狡い人間だ」と信じていました。

それは自己否定や劣等感というよりも、

自分という存在そのものへの、「恥」の感覚

そう表現した方が正確かもしれません。

この「恥」の感覚は、基本的な自己感覚に深く根付いた、慢性的な恥の感覚です。

自分の言動に対して感じる「恥ずかしさ」とは違い、
「自分という存在そのものが恥ずかしい」という感覚。

こうした「存在そのものへの恥の感覚」は、
恥を感じさせられるようなトラウマ的な出来事によって生まれることもあれば、
発達性トラウマのように、特定の出来事によるというよりも、発達の過程で適切な関りが十分に得られなかったことから生じることもあります。

早期における帰属や承認の経験が欠けていると、
不健全な「恥」を持つことになり、
「自分は本質的に価値がなく、愛されず、悪い存在」という感覚として現れる。

キャシー・L・ケイン/ステファン・J・テレール「レジリエンスを育む」P268より抜粋

これは、発達性トラウマの世界的権威であるキャシー・L・ケインとステファン・J・テレールの言葉ですが、
発達性トラウマの人が抱える「恥」の感覚を、端的に、とても分かりやすく表現していると思います。

自分自身の存在そのものを恥じているような状態では、
自分に「太陽」…優しさや労りを向けることは、難しくて当然です。

これが、私が「北風」だった理由のひとつです。

そもそも「太陽」を知らなかったから。

2つめ、

そもそも「太陽」を知らなかったから。
そして、自分にとって、それがどれだけ必要で大切かを知らなかったから。

について、

これはどういうことかと言うと…

自分の存在をあたたかく承認してもらうこと。

自分の気持ちに気付いて、理解してもらうこと。

不安なとき、怖いときに、寄り添い、優しく宥めてもらうこと。

自分の力を信じ、そっと支えてもらうこと。

そういった「あたたかな眼差し」や「安心できる関わり」。
心や身体がゆるみ、ほっとするような、安全の感覚。

私の中には、それらの体験が、
欠けていたか、
もしくは「あったとしても、受け取れない心身の状態」になっていたのだと思います。

そして、
かつての私は、自分がそういう状態だったことに、まったく気付いていませんでした。

「太陽を知らない」場合があるということ。

単純なようですが、

知らないものは、
できない。

出て来ない。

のです。

ということは、「北風にしかなれない」のは、

あなたがダメだからではなくて、
「それを与えてもらえなかった」
そういう背景があるのかもしれません。

そもそも「太陽」を知らない。

そういう場合もあるのです。

その可能性を、知っていただけたらと思います。

そして、そういう方の場合は、
「太陽」を、ゼロから学んで行く必要があります

▼もう少し専門的に知りたい方は

”そもそも「太陽」を知らない”状態について理解するのに役立つのが、
神経科学者スティーブン・ポージェス博士が提唱した「ポリヴェーガル理論(※)」です
ポリヴェーガル理論では、私たちが安心して人とつながったり、心身のバランスを調整したりするのに大切な「腹側迷走神経系」について述べられています。
この腹側迷走神経系の働きが十分ではない場合、常に緊張や警戒状態が続きやすくなり、安心して他者とつながることが難しくなったり、自律神経系の調整機能が低下したりします。
幼少期のトラウマ(特に発達性トラウマ)などが原因で、この腹側迷走神経系の働きが抑制されてしまっている場合があります。
その場合は、この腹側迷走神経系の働きを促し、心と身体が“安心”を感じられる土台を育んでいくことが大切になります。

(※)ポリヴェーガル理論
神経科学者のスティーブン・ポージェス博士によって提唱された新しい自律神経理論で、私たちの自律神経系の働きを深く理解する手助けになります。
現在、トラウマ療法の枠を超えて、対人援助、教育、ウェルビーイング、人材・組織開発など、様々な領域から注目されるようになってきています。

「太陽」を知らないことに、気付いていなかった。

私は、自分が「太陽を知らない」ことに、
まったく気付いていませんでした。

どういうきっかけでそれに気付いたかと言うと…

ポリヴェーガル理論を学び、「自律神経系が安心や安全の感覚を知らない状態」について知ったとき、
「これはまさに私の状態だ!」と、ものすごく納得感がありました。

そこから、自分に「太陽」をもたらすこと、
つまり、安心感や心地よい感覚を感じることを始めたのですが、

最初はそういったワークをしても、

まっっったく!!!

心地よさや安心などを感じることができませんでした😂
ワークをして「ほっとする」「気持ちいい」といった感想を言っている人が、本当に羨ましかったです。

けれども、理論上では深く納得していたし、「きっと自分に必要なのはこれだ」と思ったので、
実験の意味もあって、ぼちぼち日常の中でワークを続けていました。
(私の癒しの学びはいつも、自分を使っての人体実験です😅)

ある時、セルフタッチ(自分で自分の腎臓あたりに触れること)をしていた時に、
「ん?」となりました。

なんだかあたたかい…
触れている表面だけではなく、身体の内側に沁みてくるようなあたたかさ。

それをしばらく不思議な気持ちで感じていると、

それが、「やさしさ」や「ぬくもり」のような質であることに気付きました。

それと同時に、
「私、これを知らない!!!」

そう思ったのです。

大袈裟ではなく、初めて体験する感覚のように感じました。

そしてさらに、

「この感覚を知らなかったから、
だからこそ私は、自分にも人にも優しくできなかったのだ。」


それが、理屈ではなく感覚的な理解として、内側から湧き上がって来たのを覚えています。

あたたかさ、ぬくもり、優しさ・・・
そういった「感覚」が、自分の内側に存在していなかったこと。
「優しさ」を知らなかったこと。

それを、まさに初めて知った瞬間でした。
私の癒しの道のりにおいて、とても印象的だった体験のひとつです。

それまでも、人生で優しさや思いやりをもらったことはもちろんあります。
それにさえ気付けなかったわけではありませんでした。

けれども、

実際はそれを「感じられて」はいなかった
「受け取って」はいなかった。

ということです。

前の投稿で、このようにお伝えしました。

「太陽」のような関りをしてもらって、「響く時」というのは、
身体感覚においても何かを感じている時だということ。

いくら褒められても、優しい言葉をかけてもらっても、
なにも感じなければ、それは「受け取った」とは言えません。

だからこそ、自分に「太陽」をもたらすときにも、
ちゃんと身体感覚で「良い感じ」がするかどうか、それを大切にしていただきたいのです。

「頭」で、つまり気持ちや考え、思いのうえで「受け取る」というのと、
「身体感覚で受け取る」というのは、別のこと
なのです。

「太陽がゼロ」だった人の場合、太陽を「感じられる」ようになるまで、私のように時間がかかる場合があります。
安心や安全な感覚を知らない…いわば「太陽がゼロ」の状態にある自律神経系は、
例えるなら、「冷凍庫から出したばかりの、冷たくて固いカチカチのキャラメル」のようなものです。
冷凍庫から出しても、あたたかく柔らかくなるまでには時間がかかる。
自律神経系の状態もそれと同じようなもので、自分に「太陽」をもたらすことを始めても、それを感じられるようになるまでにはーあたたかく柔らかくなってくるまでには、どうしても時間がかかることがあります。
  (※上記の例えは、ソマティックな心理療法の日本における第一人者、浅井咲子氏との会話から引用させていただきました。)  

「太陽」を学んでいく。

かつての私が「北風」にしかなれなかった大きな理由として、
以下の2つについてお伝えしましたが、

  • 自己否定が激しすぎたから。
  • そもそも「太陽」を知らなかったから。
    そして、自分にとって、それがどれだけ必要で大切かを知らなかったから。

①の場合も、ほとんどの場合「太陽を知らない」状態だと言えます。

自己否定が激しすぎるのも、
「太陽」を知らなかったから、
だからこそ、そうならざるを得なかったと言えるからです。

つまり、①②のどちらも

「知らなかった太陽を学んで行く」

それが大切になります。

知らなかったからこそ、
これから学んでいけばいい
そう、今からでも学んでいけるのです。

とは言え、
知らなかったものをゼロから学んで行くのは、

どんなことでも、とても地道な道のりですし、
お伝えしたように、やっぱり時間がかかります。

どこかで「太陽」を…つまり「大事にされた感覚」を知っている人とは、
もうスタート地点がまるで違うという😂

人生って、本当に理不尽だし、不公平だ!って言いたくなりますよね。
私もずっとそういう気持ちがありました。

仲の良さそうな家族を見ては、

羨ましくて、
自分がみじめで、
「なんで!?」って、心の中で声にならない叫びをあげて。

そんな風でした。

愛情やいたわり、優しさ、ぬくもり…
そういったものは、いわば赤ちゃんに欠かせない「滋養」のようなもので、

本来は、どんな子どもも、そうしたものを与えられて育まれるべきです。

けれども、そうはいかないことがたくさんある。
辛いことだけれど、それが現実ですよね。

幼い頃に、そうした「滋養」を得られなかったとしたら、
それは本当に、切なく悲しいことです。

それを得られなかった

悲しみ
怒り
憤り
絶望
やるせなさ
悲嘆

そうした感情は、感じて当然のもの。

無かったことにせずに、
「今の、大人の自分」が、ちゃんと感じてあげる
こと。

それも、とてもとても大切なプロセスです。

けれども、私たちは、
さらにそこから立ち上がって行くことができる。

与えてもらえなかった「太陽」を、
自分に与えてあげることもできる。


自分の人生の責任は、
最終的には、どうしたって、自分で引き受けるしか無い。

少し厳しく聞こえるかもしれませんが、
それがやっぱり真実なんだと思います。

正直、私も、「待っていれば魔法のように全部解決!」ってなれば、
どんなにいいかと思うんですけどね😂

残念ながら、そうはいかないわけで・・・

でも、
私たちには、ちゃんと、回復していくための「いのちの力」とも言えるものがある。

どんなに「自分は無力だ」と感じていても、
身体には、根底には、この
回復していこうとする「いのちの力」が存在している

そのことを、私は自分自身の体験から、そしてクライアントさんたちから学びました。

かつての私のように、たとえ「自分にはそんな力は無い」と思っていたとしても、
それでも、少しずつ自分の中にある“いのちの力”と出会っていくことは可能です。

得られなかった「太陽」を感じていく。

私たちは、今ここから、
自分が得られなかったものを、
自分に与えて行ってあげるという選択をすることができます。

「ダメな自分を変えるため」じゃなくて。

🌱ほっとする感覚
🌱身体に伝わるあたたかさ
🌱ささやかな心地よさ

これまで、そういう感覚を感じられなかった自分に、
いま、そういう感覚を感じさせてあげる。


そんな風に、
日常の中で、時々「自分にとっての太陽」を感じてみる。
自分に感じさせてあげる。

それが、本当の意味で「自分を大切にすること」なのではないかと、
私は思います^^

そしてこれは、前の記事で書いたように、
決して「気休め」ではなく、
「自律神経系などの生理的な状態に働きかけていくこと」
であり、

それが、

「私は大丈夫」とか、「ここに居ていい」といった、
根底にある安心感を育むことにつながっていきます。

欠けたものは、完全には埋まらないかもしれない。でも…

こうやって、「滋養を得られなかった自分に、そういう感覚を感じさせてあげること」に取り組んだとしても。

得られなかったものを、
完全に取り戻すことは難しいかもしれない。
どうしても埋まらない部分があるかもしれない。


けれども。

私は、ここまで諦めずに癒しに取り組んできて、

愛や優しさ、安心感、大事にされた感覚…
そういったものを感じることができなかった。
私の人生には、それが存在しなかった。

でも、それが私の人生だ。

そんな風に感じることができ始めています。

滋養を…
本当に必要だったもの、本当に欲しかったものを得られなかった、
その痛みは、今もゼロにはなっていません。

でも今は、その痛みがどこから来ているかを知っているし、 
自分で理解して、抱えてあげることができます。

「欠けていたものが完全に埋まる」ということは無かったとしても。

自分自身の痛みに寄り添い、
そして新しい体験を積み重ねることで、

「過去を受け容れ、抱えながら生きていく土台」は、
確かに育っていく。

私自身、そのことを、体験を通して実感しています。

私たちは、可能性のカタマリ。

そして、この「太陽をもたらし、育む」道のりには、
「ゴール」はありません。

絶望的な意味で言ってるんじゃなくて😅

どこまででも行ける。
どこまでも深めて行ける。

ということ。

つまり「太陽ゼロ」だった私たちは、
可能性のカタマリ
だということ。
まさしく、「伸びしろしか無い」ってやつです😆

そう思うと、ちょっとだけ楽しみに思えませんか?
(もちろん思えなくてもOKです!)

でも、
「太陽ゼロ」の人が、自分ひとりで「太陽」を感じていくことは、
時に、とても難しい。

「太陽」に気付けなかったり、
感じられなかったりすることはもちろん、

「太陽」に触れることを「危険」と感じてしまったりさえもするからです。

もちろん、ひとりで取り組むことが安心に繋がる場合もあるでしょう。
けれども、難しさを感じたり、サポートが欲しいと感じられたら、ぜひ信頼できるプロの助けを借りてみてください。

「自分に鞭打って、ひとりで何とかしようとする」
これも、北風モードだったりします。

必要に応じて、頼れる存在に頼ってみる。
それもまた、「太陽」を受け取ることの一つの形です。

「適切な誰かの助けを借りてみる」
そのことも、あなたが「太陽」を感じて、それを育んでいく体験に繋がるかもしれません。

私もきっと、この人生の最後まで、
自分自身で、そしてセラピストの助けも借りながら、
「自分に太陽をもたらし、育む」ことをして行くと思います^^

もしもあなたが、「自分は太陽がゼロだったかも」と感じたなら、
どうぞ焦らずに、まずは少しずつ、
ご自分に「太陽」を感じさせてあげてみていただけたらと思います🌞


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