”落とし穴”とは、どういうことか。
私は、いわゆる「ネガティブ・ナルシズム」の状態で、
幼い頃から自己否定が強く、とても生きづらかったことから、
癒しの道に足を踏み入れ、自分の心を見つめて癒しに取り組む中で、
癒されて、楽に生きられるようになりたい。
そうすれば幸せになれる。
自分らしく輝いて生きられるようになる。
そんな風に思い、それを目指していました。
その過程で、自分がまったく気付いていなかった本当の思いや感情、そして自分の内側の愛に出会い、
少しずつ生きづらさや苦しみが癒されて行きました。
けれども、生きづらさや苦しみが癒されて、以前よりも楽になってきたと感じられるようになってきた頃、
自分が何かから目を逸らしている感覚があることに気付きました。
その、目を逸らしている感覚を見つめるというのは、私にとって勇気の要ることでした。
漠然とした、でも何かものすごい怖さがありました。
時間をかけてそこを見つめて行って見えて来た、「私が目を逸らしている”何か”」とは、
「主体的に自分の人生を生きること」「自分の足で自分の人生を歩くこと」でした。
自分がどう生きて行きたいのか。
自分にとっての幸せとは何なのか。
自分が何を望んでいるのか。本当の望み。
そこは見ずに、目を向けずに、
トラウマが癒されれば、自動的に良い感じになれる。
楽になれる。幸せになれる。
そう思い、自分なりに一生懸命に癒しに取り組んでいました。
なぜなら、
主体的に生きること…それは
怖いから。
自分には無理だと感じるから。
大変そうだから、面倒だから。
「自分にとって何が大切なのか」「何が自分の幸せなのか」なんて分からないから。
だから、そんな私にとって、トラウマの癒しというのは、
ある意味で格好の「逃げ場」でもあったのでした。
それに依存していた、力を明け渡していた、とも言えると思います。
ある種の”癒し依存”に陥った理由とは…
そういう、ある種の”癒し依存”とも言える状態に陥った理由のひとつは、
幼い頃から生きづらさを抱えていて、辛さから抜け出すことしか考えられず、
「何が楽しいのか」「何が自分の幸せなのか」「どう生きて行きたいか」
そういったことに、まったく意識が向かなかったから、ということがあると思います。
けれども私の場合、それ以上に大きかったのが、
無力感や被害者意識が強かったこと、です。
自分には人生を生きて行く力が無いと思っている。
自分で自分を幸せにする力が無いと思っている。
どこかで、誰かが・何かがどうにかしてくれるべきだと思っている。
だから、主体的に生きることに怖さを感じる。
無理だと思ってしまう。
心の中では、こういうことが起きていました。
トラウマを癒すことで自然に「幸せや自分の望みに向かって生きる」、そのパワーやエネルギーが湧いてくる人もいます。
でも、無力感が強い人などの場合、「自然とそちらの方を向く」ということが起こらないケースもあるのです。
たとえトラウマまみれであっても・・・
トラウマの癒しは、とても大切で意味のあることです。
それは間違いありません。(だからこそ心理セラピストをやっています^^)
トラウマは、ものすごく強力なエネルギーで私たちを巻き込み、その苦しい状態へ引っ張ります。
トラウマを癒すことで、その苦しみの再体験や、トラウマ的な反応から抜け出して行くことができます。
そして、トラウマの癒しとは、
深く傷付いて助けの無いままに取り残されている私たちの一部を迎えに行くこと・助けることであり、
それは、その人の深い癒しや自己理解、統合に繋がります。
けれども、トラウマや心の傷の癒しに終わりはありません。
実は、それくらい私たちは”トラウマまみれ”です( ;∀;)
「トラウマや心の傷が癒されなければ、幸せになれない」と思ってしまえば、
いつまでも幸せにはなれないことになります。
幸せを先延ばしにしてしまうことになります。
でも、極端に言えば、
たとえトラウマまみれであっても、
今この瞬間、幸せを感じられるのです。
自分が心からそう決意すれば。
その方向を向けば。
もちろん、深いトラウマを抱えた人にとって、これはとても難しいことは承知しています。
あくまでも極端な話、です。
いま現在、トラウマ反応・PTSDで苦しい人は、まずはその状態から楽になること…トラウマの癒しが大切だと、私は思っています。
「トラウマを癒しさえすれば、自動的に楽になれる、幸せになれる」ではなく…
もしもあなたが、
ある程度楽になってきたけれど、あまり幸せ感や主体的に生きている感覚が感じられていないのであれば。
どこかで、トラウマの癒しに逃げているかも…と感じるのであれば。
「トラウマを癒しさえすれば、自動的に楽になれる、幸せになれる」と、
そこに力を明け渡すのではなく。
いまどんな状態であっても、
他の誰でも無い、あなた自身が、
自分を幸せにすること。
幸せを感じると決めること。
幸せの方を向くこと。
その決意をすること。
自分にはその力があると信じること。
今はまったくこんな風に思えなくてもOKです。
というか、思えなくて当然です^^
そして、「そうしよう」と思って、すぐにできるなんてわけではなくて、このプロセスには時間もかかります。(私は何年もかかったし、今も、無力感も怖さもあります。)
けれども、もしこの記事があなたの何かに響いたなら…
少し勇気を出して、
「自分の本当の幸せや望み」に意識のベクトルを向けてみる。
答えがまったく分からなくても、
「自分にとって何が大切なのだろう」と、自分の内奥に問いかけてみる。
こんなことをやってみてください^^
ほんの小さなことのように感じるかもしれませんが、
「自分の意識をどの方向に向けるか」というのは、
「自分の人生をどう生きたいか」の選択です。
私たちは、自分が意識のベクトルを向けた方に向かって行くのです。