実は「自分が考えている」のではない??~自動思考~
さて。
皆さん、思考って、どういうものだと思いますか??
実は、思考の8~9割ほどが、毎日同じ内容だと言われています。
(アメリカの有名な精神科医で、ADDやADHDの専門家として知られるダニエル・エイメン博士によると「人間が考えることの95%は毎日同じことの繰り返し」だそう。)
これを「自動思考」と言ったりします。
思考というものの性質を考えると、毎日ほぼ同じ…というのは当然のことかもしれません。
なぜなら、思考とは、
「過去の経験や学んだことの集積データから生じるもの」と言えるからです。
思考とは、その人独自のビッグデータから自動的に出力されるもの。
過去の経験や学んだこと…そこにはもしかしたら、前世と言われるようなものも含まれるかもしれません。
更に、無意識の深いところでは集合無意識(家系や人種、性別、人類などの共通データ)とも繋がっています。
そういったものを含めた、その人独自の、例えればビッグデータのようなものがあるわけです。
(って、実はビッグデータってよく分かっていないのですが、とりあえず「ビッグなデータ」という意味合いで使わせていただきます(^^;))
そして思考とは、
そのビッグデータに、何らかの刺激が入力されて出力されたものだと言えます。
人それぞれ、経験や学んできたことは違います。
だから同じ刺激(=入力)に対しても、出力されるもの(=思考)は異なるわけです。
そして。
思考は「過去の経験や学んだことの集積データから生じるもの」ということは、
つまり思考は、まったく未知のことは考えることができないということです。
私たちは、その人なりのルーティンというか、日々多少の違いはあっても、同じような生活を送っている人が多いと思います。
朝起きて着替えてご飯を食べて仕事をして…というように。
毎日、居る場所も仕事の内容もまったく違い、新しいことばかり…という人は少ないかと。
つまり、日々の入力(=刺激)はほぼ同じようなものであり、
であれば、データから出力されるもの(=思考)も、ほぼ同じ…
もしも自分の辞書に存在しない、まったく未知のことを思いついた!という場合、それは思考ではなく直観と言えるでしょう。
(実は「直観」だと思っていることの中にも、過去のデータの集積から出て来たものもあったりします。)
上記の話、何となくイメージできるでしょうか^^
少し取っ散らかってきましたが(すみません(^^;))
何が言いたいかと申しますと…
思考とは、あなたが考えているようで、
実は、そのほとんどが自動思考…データにある刺激が入力されて、自動的に出力されたもの。
・・・ということです。
自分の思考をまったく疑わずに信じているから、それが真実だと感じられる。
そして、「自分が考えている」と思っているがゆえに(それだけが理由ではないですが。)
私たちは自分の思考の内容を、
ほぼ100%、何の疑いも無く信じて鵜呑みにしています。
あなたが「これが正しい」と思うことは、
過去の何らかの経験や教えられたことに基づいて「これが正しい」と判断しているわけです。
つまり、あなたが「絶対にこうだ!」「これが正しい」と思うことも、
単に、あなたのビッグデータからそういう出力・結論が導かれているのであって、
「絶対的な真実」ではない、ということ。
けれども私たちは、無条件に自分の思考を信じているために、
「これが正しい」と思うものを疑ったりはせず、それをそのまま鵜呑みにします。
「これが正しい」と、一切疑わずに信じているがゆえに、
それが正しいと感じられるのです。
この世界に「絶対的な正しさ」は存在しません。
人や状況や時代が変われば、「正しさ」なんて変わります。
あなたが「絶対にこれが正しい!」と思う時、
それは、あなたがそう信じ切っているから、そう感じられる。
・・・ということなのです。
よく「思考との同化」ということが言われたりしますよね。
この「同化」というのは、表現を変えると、
「自分の思考の中身を、疑いなく深く信じている状態」であり、
同化の深さ・度合いは、「その思考の中身を信じ切っている度合い」と言えます。
▼もっと詳しく知りたい方は、こちらの記事をどうぞ
データが変わってしまえば「自分」も変わる?
私たちは、自分の意見を「絶対にこれが正しい!」と主張して、
他者と対立したりしますよね。(私もやります( ;∀;))
けれども。
もしも何かの理由で、あなたのデータの内容の一部が変わってしまったら、
あなたの思う「これが正しい!」も、変わってしまう可能性があるということ。
私たちが信じている思考って、それくらいあやふやで、
単なる「過去の集積からの結果」でしかないのです。
私たちは、自分自身に対しても「こうするべき」とか「これではダメだ」と判断・ジャッジして、
責めたり、なんとか自分を変えようとしたりしますよね。
けれども、それは自分のデータの中身によって「こうするべき」「これはダメだ」と判断している、ということ。
こうして見てみると、
「人間は自分の思考に制限されている」とも言えますよね。
「自分の思考を信じない」のススメ。
だからここで、「自分の思考を信じない」
たまにそれをやってみることのススメ、です^^
脳の研究で「思考は止まることが無い」ということが明らかになっているそうです。
(すみません、出典は失念してしまいました…(T_T))
だから、
思考を止めようとするのではなく、
どんな思考が出て来ても、
単に、その中身(内容)を信じないでいてみる。
スルーしてみる。
空を流れる雲をただ見送るようなイメージや、
まるで壊れたラジオが勝手に流れ続けているかのように聞き流す、というイメージも良いかもです。
(ただしイメージしようと頑張らないでくださいね。それはまたイメージへのしがみつきになります。)
ちなみにこの時に、
思考に対して、否定したり抵抗したりして戦わないのが重要なポイントです。
ある思考を否定したり、違う思考に変えようとしたりするのもまた、思考を信じているからです。
そうではなく。
あくまでも華麗にスルー^^
実は瞑想というのも、こういうことです。
「思考を信じないのが怖い感じ」とか「スルーするのが難しい思考」について。
「思考を信じない」って、怖い感じがする方もいらっしゃるかもしれません。
(思考との同化が深い方ほど、そう感じるかもです。ちなみに私もそのタイプでした。)
でも。
思考って、信じなくても大丈夫です^^
思考の中身は、どんなに正しかったり真実のように思えたりしても、
あくまでも自分の個人的なビッグデータから出て来たもので、
そして、自分がそれを疑わずに信じているから、真実のように思えるだけなのですから。
もちろん、いきなり「すべての思考を信じない」とやる必要はまったく無くて。(それは無理ですよね💦)
日々少しの時間やってみるところから始めてみてください。
実際にやってみる中で、思考の実態が見えてくることを願っています。
ちなみに、
どうしてもスルー出来ない考え。
つい掴んでぐるぐる考えてしまうもの。
「これは絶対に真実だ」と言いたくなること。
(こういったことも当然起こります^^)
そういったものは、
「それだけ、自分がそれにこだわっている」ということです。
その奥には、深い思い込みや傷・痛みがあるかもしれません。
現代人は思考にかなりのエネルギーを使っている。
現代人は、頭の中のおしゃべりがずーっと止まないような状態です。
実はこれって、かなりエネルギーを使っています。
そのうえ、思考の内容をすべて真に受けて、ああだこうだと悩んだり心配したり・・・
これは疲れます( ;∀;) 笑
思考の内容・中身を信じない。
スルーする。
そうしているうちに、自然に思考との距離が生まれて、振り回されることが減ってくるかもしれません。
ご興味のある方はやってみてくださいね^^