あるクライアントさんのお話です。
その方がお話してくださったのは、「私はすごくミスが多いのだけれど、ある発達障害だという人のYouTubeを観ていたら、自分にも当てはまるように感じて…自分もそうなのかもしれないと思って。」とお話でした。
「自分は気を付けていないと本当にミスが多い。昔からそうだった。だから、そのYouTubeで何を気を付けたら良いのかを知ることができて役に立つ感じがする。」と。
発達障害やHSPなど、実際にそうである方・その傾向がある方が、自分の状態を理解することは大きな助けになるし、必要で大切なことだと思います。
自分の特性・性質を正しく知って理解することで、自分を否定しなくて良くなったり、楽に生きるための助けになったりするからです。
けれども一方で、実際は発達障害ではない可能性が高くても、簡易な自己診断で「自分は発達障害かもしれない…」と思われている方もいらっしゃるかもなあと思います。
(※もちろん私は医師ではないので、発達障害か否かといった診断はできません。)
例えば、そのクライアントさんに関して言えば、「 私はミスばかりする。これは発達障害の性質に当てはまるかもしれない。」と思われたわけですが、
「その人の中で、実際に何が起きているのか」を見て行った時に、 「私はミスばかりする」という部分について、
本当に事実としてミスが多いのではなく、その方の思い込みだという場合もあるのです。
さて、どういうことでしょうか?
「私はこういう人間だ」が、事実ではなく「思い込み」だという可能性。
実は、自分に関するどんなセルフイメージも、思い込みです。
真実は、「固定化したどんな”自分”というものも存在しない」です。
私たちは様々なセルフイメージを持っています。
私は穏やかな人間だ。
私は繊細だ。
私は頑固だ。
私は優柔不断だ。
私は優しい人間だ。
私は前向きだ。
私は打たれ弱い。
私は話すのが苦手だ。
こうしたセルフイメージは、生まれ育った過程で自分の中に生まれて来たものです。
「自分は頑固だ」と思っている赤ちゃんは居ないですよね^^
何らかの理由で、そうしたセルフイメージを持つに至ったわけです。
こういったセルフイメージが、もしも、すべていっぺんに消えてしまったらどうでしょうか?
それでも自分が消えてしまうわけではないですよね。
そこに居る「何者でも無い自分」が、本来の私たちです。
「思い込み」なのに、「事実」としか思えない。
「私はミスばかりする」「私は抜けている」「私は肝心な場面でヘマをする」「私は大事なことを見逃してしまう」など、そういうセルフイメージ…つまり「自分に関する思い込み」を持っている方は多くいらっしゃいます。
セッションでもたびたび出て来ますし、私もそういう類のセルフイメージを持っています。
もちろん、本人には事実としか思えません。
「思い込みだなんてとんでもない!実際に証拠だって山ほどありますよ!!」という状態です。
「実際にこんなミスをしてしまった」「あの時もこの時も、何度も失敗してきた」…など、挙げればいくらでも証拠は出て来るはずです。
けれども、本当にその人が、事実として実際に、本当にミスばかりしているかというと、そうではなかったりもします。
たとえ本人の中では「ミスばかりしてしまう」となっていたとしても、です。
深い思いこみというのは、言い換えると、
その人自身が、その思いを100%(もしくはそれ以上)絶対的に信じている状態です。
「私はミスばかりしてしまう」という深い思い込みがその方の中にあると、
「自分はミスばかりする」と思えてしまう、そうとしか思えない・・・ということが起こり得ます。
これが「投影」です。
私たちは、自分の中にある思いや、その思いに伴う身体感覚を通して世界を見て、体験します。
「私はミスばかりしてしまう」という思い込みを持つに至った理由や何らかの出来事は、実際にあったでしょう。
けれども、そこで 「私はミスばかりしてしまう」 という思い込みが深く刻まれたことで、その後は、その思いとそれに伴う身体感覚を通して世界を見て、体験して行きます。
「私はミスばかりしてしまう」 というのが、その人にとって、疑いようの無い絶対的な「事実」「真実」になるのです。
そうなると、どれだけ人が「ミスばかりってことは無いと思うよ。」とか「大丈夫だよ。」と言っても、本人としては「そんなことはない!みんな私のことを知らないからだ。」となったりもします。
「私は孤独だ」と深く思い込んでいる人は、自分を孤独だと感じます。
「私はつまらない人間だ」と深く思い込んでいると、自分のことをつまらない人間としか思えないし、「人からもそう思われているに違いない」と感じたりします。
私たちが「実際に外側でそういうことが起きている」と感じていることも、
実際は、自分の内側にあるもの…思い込みや感覚のフィルターを通して人生を生きているために、そのように思える・感じられる、ということが起きています。
例えば、「自分はつまらない人間だ」ということが痛すぎて深く抑圧している場合は、「自分はつまらない人間ではない」「つまらない人間だなんて思ったこともない」という顕れになる場合もあります。
ので、やはり「こういうケースの場合はこうだ」などと決めつけることはできず、ひとりひとり、その方の心の中で何が起きているのかを見て行くことが大切です。
「ミスをしないように」と常に意識している人は、自分のミスに敏感になる。
また、私たちの脳は、自分が意識していることにフォーカスして、ピックアップします。(これは無意識に起こります。)
これはよく例として、「車にまったく興味が無い人も、自分が車を買おうと考えるようになったら、道を走っている車の色や車種に意識が向くようになる。」とか言われることです。
「ミスをしないように」と常に意識している人は、自分のミスに敏感になります。
同時に、ミスしていない時のことは、その人の中ではカウントされないというか、スルーしていて無いことになっています。
つまり、実際は年に2~3回ミスをしたとして(それを「多い」と判断するか「少ない」と判断するかが、そもそも人によって違うわけですが。)、
その2~3回のミスは、その人にとって大きなインパクトがあるはずです。
その人は、「ああ、またやってしまった…やっぱり私はミスばかりしてしまう」と思う可能性が無いでしょうか?
そうすると、どんどん証拠は増えて行くわけですから、「やっぱり私はミスばかりだ」という思いは強まって行き、「自分はこういう人間だ」というセルフイメージの真実味も強くなって行く…
私たちの心の中では、こんなことが起きていたりします。
苦しみに繋がるセルフイメージとは
とは言え。
「私はミスばかりする」というセルフイメージを持っていたとしても、それが苦しみにはなっていない場合もあるわけです。
「私ドジなんですー。えへ♪」という人も居たりします。
その人は恐らく、ミスをすることについて、そこまで気にしたり苦しんだりしてはいないでしょう。
もし「私はバカだ」と思っていたとしても、
それで自分を責めたり恥ずかしく思ったりと、苦しむ人もいれば、
「私バカだからさー!あはは!」という人も居る。(ただし、そう言って笑っていても、実はどこかでそういう自分を恥じていてそれを隠しているような場合もあるので、その人の中で苦しみになっているかどうかは、外からは分からないことも多いです。)
「私はミスばかりする」 というのが苦しみになるのは、
例えば、過去に、失敗をしてものすごく怒られたとか、自分のミスが重大な結果になってしまったとか、他人に迷惑をかけたとか、
何らかの「ネガティブな感情体験があった」という場合がほとんどです。
強い感情体験があったからこそ、その思い(「私はミスばかりしてしまう」)が深く刻まれた、という言い方もできます。
つまり、苦しみに繋がるのは、「その思い込みに、苦しい感情や感覚がくっついている時」です。
そこにある苦しい感情や感覚を癒して行くことで、その思い込み自体も弱まって行きます。
対処方法では、本当の意味で楽にはならない??
ちょっと余談になりますが。
「私はミスばかりする」と思っていて、それが自分の中で苦しみや問題になっている場合、対処法として「ミスしないようにするにはどうしたらいいか」という方法を探して、それを実践したりしますよね。
でも、仮にそれを実践してミスが減ったとしても、
本当の意味でご本人にとって「楽になった」わけでは無い場合があります。
何故なら「ミスをしないように頑張っている状態」になってしまう可能性があるからです。
私たちは、 外の世界に適応できれば ・・・この場合は、ミスが少なくなれば、
そうすれば問題が解決する・楽になるように感じていますよね。
でも、そうではない。
本当に楽になる方向は、
「外側の世界に適応できる自分になる」ことではなくて、
「自分が自分らしくあること」…無理の無い、我慢の無い状態であること。
これは「ミスをしまくっても平気になること」という意味ではありません(^^;)
自分を制限する思い込みから解放されて本来のその人らしい状態になって行くにつれて、苦しみやストレスは少なくなって行きます。
(とは言え、対処方法が「悪い」とか「無駄だ」と言いたいわけではありません。それが実際に役に立ったり大切だったりする場合もありますよね^^)
自分に関するどんなセルフイメージも、思い込み。
話を戻して。
自分に関するどんなセルフイメージも、思い込みです。
それがどんなに「いいえ!!私は絶対に絶対にこういう人間なんです!!!」と力いっぱい言いたくなるものであっても。
それは、その人の中にしか存在しない「イメージ」であり、実態のあるものではないのです。
「ミスばかりする」というのは、ものごとのごく一部を切り取って、そう解釈しているだけです。
他の人にとっては、それはミスではないかもしれないし、
「ミスが多い」って、何を基準に多い・少ないを判断するのでしょうか。
「1ヵ月にこういうミスを何回以上やったら、それはミスが多い。それ以下は少ないと判断する。」こんな基準は存在しないわけです。
そして同じ性質を「ミスが多い」ではなく、「おおらか」と解釈・表現することもできたりしますよね。
「思い込み」の解体…自我(エゴ)の解体
固定化したどんな”自分”も存在していませんし、
ものごとは、いかようにも解釈できます。
あなたが「私はこういう人間だ」と思っている、どんなことも。
私は冷たい人間だ。
私は弱い人間だ。
私は孤独だ。
私は何をやっても失敗ばかりだ。
私は何の能力も無い。
…などなど。
どれだけそれがあなたにとって「真実」「事実」としか思えなくても、
というか、 「真実」「事実」としか 思えないことほど、
実は 「真実」でも「事実」でもなく、「思い込み」です。
これは「そうか、思い込みだと思えばいいのか!」ということではありません。
「これは思い込みなんだ!」と簡単に、本当にそう思えるなら、そこまで深い思い込みではないし、苦しんでもいないと思います。
(浅いレベルの思い込みであれば、「そうか思い込みだったのか!」と、簡単にそう思えて楽になる場合もあります^^)
自分にとって「真実」「事実」としか思えないものについては、それが思い込みだと真に見えてくるまで、かなりの時間やセッション数が必要かもしれません。(私は何年もかかりました(^^;))
けれども、深い思い込みほど、あなたにとって大切な、相棒のようなものです。
それを紐解いて行く過程で、あなたは沢山のギフトと、あなた自身の真実に出会って行かれると思います^^
「ミスばかりしてしまう自分」から「ミスをしない自分になること」を目指すのではなく。
自分を制限する思い込みを解体して、そして本来のナチュラルな自分を取り戻して行く。
何者でもない自分に気付いて行く。
それはつまり、「自我(エゴ)の解体」とも言えること。
トラウマや傷の癒しだけではなく、クライアントさまの状態に応じてそういったセッションもしています。
ご興味のある方はどうぞ♪
(※その方の状態に応じてセッションを行っておりますので、ご希望に沿えない場合もありますことをご了承くださいませ。)
とは言え、 自我(エゴ)の解体 ってどんな感じか、よく分からないですよね(^^;
ということで次回は、実際に自我(エゴ)の解体の方向のセッションを受けてくださった方からいただいたご感想をご紹介いたします。