「プライドが高い」ってどういうこと??
「プライドが高い人」のイメージって、どんな感じでしょうか??
- 自分を実際以上に大きく見せたがる
- ちょっとしたことでムッとしたり不機嫌になったりする
- 失敗を恐れてチャレンジしたがらない
- 注意されても、「でも」と言い訳したり、自分の非を認めたがらない
- 自分が正しいと思っている
・・・こんな感じでしょうか。
どちらかと言うと、付き合いづらい人、面倒くさい人と思われがちですよね💦
けれども、「プライドが高い」と言われる人自身も、
自分のプライドの高さに疲れていたり、
人づきあいが上手く行かずに悩んでいたりします。
かつての私も、人目がすごく気になったり、人間関係でおどおどしたり、過剰に気を遣って疲れてしまったりするのに、
同時に、プライドの高さも抱えていました。
そのギャップもまた、私にとっての苦しみや生きづらさでした。
プライドが高い自分のことを、自分でも心底「嫌な奴」だと思っていたし、
どうにかしたいのにどうにもならない…
そんな風に、自分のプライドの高さを持て余していました。
けれども、プライドの高さというのは、実は、深く傷ついた経験から来ていたりします。
ある種の「自己防衛」と言えるのです。
傷つかないように、ふたたびあの痛みを経験しないように、
自分を防衛している状態のひとつ。
それが「プライドの高さ」の正体だったりするのです。
プライドの高さと「恥」の感覚
また「プライドの高さ」は、恥の感覚とも深く結びついています。
恥の感覚というのは、私の経験上、ネガティブな感情・感覚の中でも、特に感じたくない感覚のひとつだと思います。
人間は無意識に自己価値を守ろうとしますが、
恥というのは、その自己価値がもっとも脅かされる感覚だと思うのです。
強烈な恥の体験、傷ついた体験といった、
いわゆるトラウマ的な体験により、
もう二度とあんな恥ずかしい思いはしたくないと、
そこから、全力でそれを避けための防衛をする・・・(これはほとんどの場合、無意識に起きていることです。)
その顕れのパターンのひとつが「プライドの高さ」なのだと思います。
一般的に、「プライドの高さ」を否定的に見てしまうために、
実はそれが「防衛」であり傷付いた体験から来ていること、
その人の中に深く傷ついた自分が居ること…
それが見えにくくなってしまっていると思います。
プライドの高さに悩んでいたり、疲れを感じていたりする人は、
ぜひ、まずはこのことを理解していただきたいと思うのです。
そして、自分の中の「傷ついた自分」を見つけて、
その自分を温かく労わってあげて欲しいと思うのです。
「高いプライド」の奥にいる、「傷ついた自分」に出会って行く。
たとえば、人から何かを指摘されてカチンと来たりムッとしたりした時、
思わず言い訳をしたくなった時、
自分の正しさを声高に主張したくなった時、
そんな時に、
その時に身体に顕れている感覚を、よーーーく感じてみてください。
自分の中の傷ついた自分を見つけようとする時に、
いくら頭で探しても、頭で考えても、見つけることはできません。
「身体の感覚」が大きな鍵になります。
「身体の感覚」が、無意識の領域への入口です。
身体の感覚をよく感じて、静かにそれに寄り添ってみてください。
急がずに、できるだけニュートラルな視点を持って、
思考(考え)が浮かんで来たらちょっと脇に置いて・・・
そうしていると、
怒りやムッとした感覚の奥に、
必死で自分を守ろうとしているような、そんな感覚が感じられるかもしれません。
怯えたような感覚に気づくかもしれません。
そして、そのもっと奥には、「もう絶対に二度とこんな感覚は感じたくない」…
そう思うほどの恥や痛みを体験をした・味わった過去の自分が、
冷凍保存のように、その時の強烈な恥の感覚や傷ついた痛みを抱えたまま、
そこに取り残されています。
この傷ついたまま置き去りになった過去の自分が、自分の中に存在しているために、
何かがトリガーになって、少しでも、あの恥の感覚や傷ついた痛みを感じてしまいそうな状態になった時に、
どうにかして、ふたたびそれを感じるのを避けるために…つまり自分を守るために、
激しい自己防衛が起こるのです。
「プライドが傷ついた」というのは、
この防衛が脅かされて、奥にある痛み・傷がちょっと出て来てしまった…そんな状態と言えます。
これ、結構痛いですよね…( ;∀;)
もしあなたが、「高いプライド」の奥にいる、「傷ついた自分」に出会うことができたなら…
どうかそのご自分の痛みを、感じていた気持ちを、その時の感覚を、
「そうかそうか、こんな風に感じていたんだなあ」「こんなに痛かったんだなあ」と、
温かく労わってあげてくださいね。
その痛みが癒えた時に、何かが変わっていると思います^^
「自分の心の中で、いったい何が起きているのか?」
それを真摯に見つめて行くことは、
自分の中の、深く傷付いたまま取り残されている自分を迎えに行くことであり、
あなた自身の愛に出会って行くことでもあります^^