「癒されたキラキラな自分」を目指すと苦しくなる理由|理想の自分を目指す【落とし穴】を、非二元トラウマセラピストが解説

もしも「素晴らしい理想の自分」になれたら、
どんな良いことがあると思いますか?

苦しくて楽になりたい!と思っているとき、
自分の癒しに取り組んでいるとき、

どこかに「癒された理想の自分」のイメージが無いでしょうか。

そして、それはどんな姿でしょうか。

目次

自分の中の「癒された理想の自分像」を見つめてみる

私たちは無意識に、どこかで「理想の自分像(イメージ)」を持っています。

内的な「理想の自分像(イメージ)」と現実の自分を比べて、

ギャップに苦しんだり、
今の自分と比べてダメ出しをしたりしているわけです。

私たちは、理想の自分像だけではなく、

あらゆることについて、ほぼ無意識的に、内的なイメージを持っています。

たとえば「南の島」と言った時に、その言葉(単語)だけではなく、何らかのイメージ(映像)が浮かぶと思います。

そして、そのイメージは人それぞれ異なります。

このように、人はあらゆることについて内的なイメージを持っていますが、

そのこと自体に、ほとんど気付いていません。

そして、実は私たちは、実際の現実よりも、この自分の内的なイメージの方を信じ、リアルだと感じています

ご興味のある方は、自分が持っている様々な内的なイメージを観察してみると面白いと思います^^

さて。

「理想の自分像」って、自分の中にあるとは言え、
何となーく」の、ぼんやりしたイメージだと思います。

ぼんやりしているのは、それが半分 ”無意識的なもの” だからです。

「理想の自分のイメージ」を明らかにしてみよう。

ここで、その「半分無意識的な、理想の自分のイメージ」を明確にしてみませんか?

(実際に書き出してみるのがおススメです。)

たとえば・・・

  • いつも穏やか
  • 笑顔を絶やさない
  • 人に心から優しくできる
  • ユーモアがある
  • 気持ちに余裕がある
  • おおらか、懐が広い
  • 自分に自信がある
  • 動じない
  • 自分の気持ちを大事にできる
  • 周りの人を大切にできる
  • 人から認めてもらえるような素質や才能がある
  • 何か夢中になれることがある

などなどなど・・・

あなたの内側の「理想の自分像」のイメージ、見えて来たでしょうか。

「理想像」にくっついているもの。

さて。ここでちょっと考えてみてください。

こういう理想通りの人って、実際にいると思いますか???

たとえば・・・

「人に優しい人」は、いるかもしれない。
でも、「いつも」「誰にとっても」いい人って、いるでしょうか?

「自信があって動じない人」も、いるかもしれない。
でも、「常に」「どんな場面でも」動じない人って、いるでしょうか?

「自分の理想像」には、
知らず知らず、「いつも」とか「常に」、「どんな場面でも」などがくっついていませんか??

無意識に抱いている「理想の自分像」。

それは、自分にとっては「当然の、目指すべき姿」になっているかもしれませんが、

実は、かなり高いハードルだったりしませんか??

それと今の等身大の自分を比べてしまったら・・・
当然「こんな自分じゃダメだ」になりますよね😭

自我(エゴ)が描く「キラキラした理想像」の正体

自我(エゴ)は、キラキラした理想像を思い描きます。

どこかのテレビのCMみたいな、

「いつも笑いの絶えない幸せな家庭」
「家族みんなが仲が良くて、幸せで穏やかな毎日」
「毎日が充実していて楽しくて、幸せな自分」などなど。

けれども、

それって、本当に実在するでしょうか???

・・・どこかに実在する気がするんですよね~これが😂

でも、地に足を付けて、現実的によーく考えてみると、どうでしょうか。

え、やっぱり実在する気がする??
下手をすると、自分以外はみんな幸せそうに見えたりして…。

そのお気持ちも、よーーーく分かります。

けれども。

「いつも」「誰にとっても」「どんな場面でも」なんて人は、

実在しません

そう見えるあの人にも、そうじゃない場面が絶対にあるんです。

逆に、

「常に24時間イライラしている人」とか
「毎日、どんな時も、誰に対しても意地悪な人」とか。

果たして、そういう人は実際にいるでしょうか???

「あの人は絶対にそうだ!」と言いたくなる誰かが思い浮かぶかもしれませんが、

その人も、誰かに優しい笑顔を向ける場面や、楽しく何かをしている時があるかもしれません。

私たちは、こんな風に、
よく考えたり吟味したりしないまま、自分の内的なイメージを信じ込んでいます。

自我(エゴ)は、理想を目指すことが大好き。

自我(エゴ)がなぜ、こんな理想像を描くかと言うと、
どこかで「それが存在して欲しい」と思っているから。

自我(エゴ)は、理想を掲げて、それを目指すのが大好きです。

頑張れば辿り着けるかもしれない。

そんな希望は、自我(エゴ)の大きな糧になります。

その理想を目指して、自分にムチ打って頑張って、
でも辿り着けずに失望し、自分にダメ出しをして・・・。

私たち、こんなことをしています。

これって、かなり苦しいと思いませんか?

自我(エゴ)の性質を知ることが助けになる。

こんなことを言ってる私も、「理想の自分像」と比べて、自分にダメ出ししたりする時もあります😅

でも、「あー、やってるな」と、それに気付くことができます。

「それをするのがダメ」ということじゃなく。

「それをしないようにしなきゃ」と頑張るのでもなく。

自我(エゴ)の性質を知ることで、
無意識に、自分がどんなことをやっているのかが見えて来ます。

そして、「あーやってるな」と気付いていくこと。
それだけでも、少し楽になったりします^^

「世界三大がっかりスポット」にみる内的イメージの存在

お勧めしたいのは、「自分がどんな内的イメージを持っているか」に気付くことです。

お伝えしたように、内的イメージは、ほぼ無意識的なものです。

私たちは、自分がどんなイメージを持っているかにほとんど気付かないまま、
無意識にそれを信じて、
それを基準にして、色々なことを判断したり行動したりしています

たとえば「世界三大がっかりスポット」と言われる場所がありますが(シンガポールのマーライオン、ベルギーの小便小僧、デンマークの人魚姫、らしいですね。)、

これは、何と比べて「がっかり」かと言うと、
その人の中のイメージと比べて」がっかり、なわけです。

(「想像していたよりもサイズが小さかった」というのが主な「がっかり理由」のようですが(;’∀’))

こんなふうに私たちは、行ったことの無い場所に対しても、自分なりのイメージを持っています。

もちろん、「人」に対しても何らかのイメージを持ちます。
このブログを読んでくださっている皆さんも、私(徳山なおこ)に対して、何となく「こんな人」というイメージをお持ちなのではないかと思います^^

実際は、ありのままの他者を見ているというよりも、「自分の中のその人のイメージを見ている」と言った方が正確なくらいです。

私たちは無意識に、自分の中のイメージを通して相手や世界を見ています。
この心の仕組みを「投影」と言います。

心理セラピーで起きる「イメージ」と「現実」のギャップ

私たちは、人や物といった具体的な対象物に関してだけではなく、あらゆるものについての内的イメージを持っています。

たとえば、セッションの中で、

私、身体の感覚を感じられないんです・・・

そういう方が時々いらっしゃいます。

確かに、何らかの理由で身体の感覚を感じない・感じにくくなっている方はいらっしゃるのですが、
私から拝見して、ちゃんと感じられている方でも、こうおっしゃる方が時々居られます。

どういうことかというと、その人の中に「身体の感覚を感じるって、きっとこういうことだ」という内的なイメージがあるわけです。

「そのイメージに合っていない」と感じると、
実際はできていても、「できていない、分からない」となるわけです

こういう場合は、誘導で実際に「身体の感覚を感じること」を体験していただいて、その方の(「身体の感覚を感じる」ことについての)内的なイメージとのギャップを埋めて行くことをしたりします。

この場合の「内的イメージ」は、映像ではないかもしれませんが、何かしらの「こういうことだ」という、その方なりの定義やイメージがあるわけです。

自分の内的なイメージを見つめてみること。

ここまで見てきたように、

私たちは「自分の内的なイメージ」を基準にして、色々な判断をしていたりします。

その内的なイメージは、「癒されて幸せでキラキラな自分」のように、
時に、現実的に考えてあり得なかったり、現実(リアル)から掛け離れていることもあります。

理想のイメージに向かって、そういう自分になろうと頑張るのが悪いわけでは決してありません。

でも、時には、

自分の中の、無意識的に信じている「内的なイメージ」の方を見つめてみる。

これも、自分自身を深く知って行くことに繋がります^^

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